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028◆たとえば、15年・20年って年月に頭を巡らせ、
    これからも変わらないスタンスを提示して、
    見せる。それが、強力なグル−ヴの進化系かも。



2001年9月11日。アメリカで起こった同時多発テロを、TVで目の当たりにした。

それは、昔っから変わらない。。。。。この悲しき人類が繰り返してる、戦争、虐待、やりきれない嫌なニュ−スのひとつであった。ただ、呆然とした。
善悪を超えた、何か、震えるモノを感じてた。
こんなダメ人間なオレですら、怒りを、愛情を、明るい未来を、考え込む時間帯だった。
何故、繰り返すのか。。。。人類って。
  そんな年末。『BUCK-TICK』は、日本武道館公演『THE DAY IN QUESTION』の準備。そしてNEXTに向 かっての撮影をしていた。メジャ−・デヴュ−からのV TR集『B-T PICTUE PRODUCT』。
そしてコンプリートBOOK
『WORDS by BUCK-TICK 1987-2002』におけるアートディレクションは、まさに、自身のア−トワ−ク・コラボレ−トをも、振り返る節目となった。
  自分自身が、東京に定住し、また大好きな音楽とコラボレ−トやることとなった1987年。
  同世代にこの星に産まれ落ちたオレたちが、出会って、、、、数えきれないセッションをやってきた。大量に残されたプリントやポジ・ネガフィルムを前にして、 15年・20年って年月の経過には、驚かされるモノがあった。
  メンバ−・チェンジもなく、新作ごとに、そのサウンドを確実に進化させ続けてく。それは、アートワ−クでも、同様だった。新宿LOFTの階段で、ガンと目立ってたPOSTERの5人と会ってから。。。。ビクタ−のリハ−サル・スタジオで眼が合って、お互い照れながら、、、会って。
  いかに独自のスタンスを死守しながら、セッション続けられるか。それをテ−マに掲げながらも、それは、どんな軌跡を残してきたのか。
ストイックに、ストイックになって、振り返り、、、ひとり悩んじゃおう。って考えた。

  まず『WORDS by BUCK-TICK 1987-2002』用の最新PHOTOセッションでは、『SEXUAL XXXXX!』でのア−ティスト写真と、同様に独自の空気感を目指した。
ライティングやモノト−ンの衣裳etc.できる限り近いセッティング。その中に、シンプルに変わらないの強さを。
『BUCK-TICK』の5人でしか立てない、独自の立ち方で撮影した。
  その写真を、、、、1987年のア−ティスト写真の上に、素直に重ねるコト。そこから始まったデザインでは、大切に保存されていた膨大なカットの中から、どの写真をチョイスしていくか。
そこにエネルギ−の大半を費やした。それらの場面に、インタヴュ−に、自身の感じたコトを重ねながら、まったく妥協しないで、ヤリタイってコト、やってきたんだなぁ、、、って実感しながら。。。。
  また、さらに、進化を、トライを。心に決めた仕事になった。

  VTR集『B-T PICTUE PRODUCT』のためには、『THE DAY IN QUESTION』の日本武道館楽屋を、その撮影場所にチョイスすることにした。
これまでにはない緊張感のカタマリを。人間から沸き上がるエナジ−を。何とかしてポ−トレイトに残して見れないモノなのか?

  、、、、、そうだ。
ライヴに向かう瞬間。そして、また、エナジ−をその全細胞から放出して帰ってくる瞬間。
ここには、常に、肉眼にでも感じられる、モノ凄いモノを、オレは、見てきたんだ。そのエナジ−に無駄を一切排除した撮影セッティングで。。
  このエナジ−の最新型こそが、このパッケ−ジにはピシャリくると実感したのだ。
  、、、、、ステ−ジ撮影にも望むカメラマンMASAが、確実に、その瞬間を切り取った。まさに、強力なグル−ヴの進化系ポ−トレイト。こんな撮影にトライしてくれる5人の魂に、素直に、感謝した。
  最新型のグル−ヴ・ポ−トレイトにパッケ−ジされた、膨大な映像作品『B-T PICTUE PRODUCT』。
改めて、その映像作品を前に、、、なんだか、いつも一緒に歩んできたから、時間経過は、あまり感じてなかったけれども、
その成長してきた映像からは、当たり前だけども、若かったんだなぁ。って振り返れる機会をくれた。、、、、、さらに、前向きに歩むための。大切な。

  シングル『極東より愛を込めて』のジャケットデザインでは、オレは行かなかったけど。。。。
年末の社員韓国旅行で、スタッフの子供が撮影したアジアの子供の写真が、なんだか可愛らしくて、素直に愛が見えて、さ。
「イイじゃん、コレ!コレッ!」って登場していただいた。

  続けて届けられた数々のデモ・トラックスは、なんだか、確実にポジティヴに向かってた。
愛。希望。未来。。。。。

    なんだか、輝かしいヤツラで溢れたんだから。ポンとイメ−ジしたのは、きらめき。白。
  アルバム『極東 I LOVE YOU』ジャケットデザインでは、鏡のテイストを、その中心に置いた。
キャッチ−でポップ。そんなイメ−ジの鏡をデザインすること・実際に作ることから始めた。
  見たことないようなカタチの鏡。まずは、その鏡のデザインと、具現化。
そして、そこからは、アジアの何処かの荒涼とした大地に立つ5人。そこで、真新しい白の衣裳を着て、無表情で、ただ立ち尽くす。
これが、オレなんかが、表現したかった世界観。

  彼らは、愛と希望を抱えtour2002 『WARP DAYS』に向かった。
  オレなんかも、4月はいつもの。。。BUCK-TICKの地元故郷帰りよろしく!群馬公演。 & オレの地元故郷帰りよろしく!高松公演。
そして、産まれて初めての北海道は、札幌公演。こちらは、デザイナ−from北海道の本間いずみちゃんの案内のもと。。。
ハ−ドなビッチリ詰まったスケジュ−ルにもかかわらず、楽しいのだから仕方ない。『WARP DAYS』笑いだらけのツア−参戦。毎度ながら、オバカさんのゴトシ=アル中だったオレは、ハプニングだらけで、ありました。
まったく覚えちゃいない。。。。ライヴとは、裏腹、、最低男だ。

  膨大な時間と年月の経過に頭を巡らせながらも、その進化し続ける生命体『BUCK-TICK』、、、
その愛と勇気溢れるGIGも『WARP DAYS 20020616 BAY NK HALL』として、2002極東に産まれ、刻まれた。
  『J』 からはシングル『go crazy』ジャケットデザイン。そして、tour the BLOOD MUZIK 02"GO CRAZY GO"におけるアートディレクションの依頼だ。[ FIRE EIRE 2001 ]で全国にそのCRAZYなTHE ROCKの火をまき散らしてきた『J』には、なぜだか「ゴッドファ−ザー」ってイメ−ジのポ−トレイトと、KINGよろしく!の王冠!これで決まりでしょ!ってコトで!やらかしてもらいました。

  ツア−グッズのエポックといったら、あの、永井豪のデビルマンが『J』よろしく!W.U.M.F.モデルで、、、、なんて、ス−パ−・フィットなアイデアが盛り上がった。オレンジのツア−トレ−ラ−にも、KINGよろしく!王冠!とデビルマンJ!こいつが、全国をゴ−ラウンドするって想像しただけで、イタズラな笑いが、出た。ワクワクすることだらけ〜なのだ!
  いつも、面白いアイデアが、ポンポンと産まれてくる『J』 とのセッションは、徹夜しちゃってても、健全な、、、そうだなぁ、サッカ−とかのゲ−ムやってる時くらい、ポジティヴな心地よい疲れだ。なんだか、毎日くらい会ってたような、イメ−ジだね。
  待ってる、、、、、これまた世界トップレベルの爆発力+瞬発力を持ち合わせたオ−ディエンスを、さらに驚かそうって、ねっ!
  そんな『J』と、誰にも縛られないオ−ディエンスで、何かを変えた赤坂の熱い夜は、映像作品 『80min.RIOT』として2002年に刻んだ。  初の海外(韓国、台湾)盤『IGNITER #081』+ 国内盤『CRACK TRACKS』もドロップ。
  単行本 『WAKE UP! MOTHER FUCKER 2 』の出版etc.
  、、、、あらゆる、この国の既成のROCKっていう価値観をブッ壊す!まさに!勢いなのだ!

  『J』の闘争宣言は、半端じゃない、まさに本物!まさに、国境なんか、超えちゃったところで戦ってる。まさに、音楽と絵は、あらゆる線を世代を超えてハッピ−にしていくってコトを、真剣に体現しようとしてる。それは、チカラ強さを、さらにも増して、、、、。
  ヤツは、俺がこの世で知る限り、最大のサディストなんだなぁ、、、って時折、思うことが、ある。最大級の怪物を産み落とすまでは、ブッ壊れちゃうんじゃ、ないのかと思わせるくらい、自身を追い詰めていく。そう、ギリギリまで、ねっ!
LiveTour the BLOOD MUZIK 02 "5 CRAZY 5"-PYROMANIA IS BACK!!- SHIBUYA-AX 5Days。そしてTour the BLOOD MUZIK 02 Summer-Ride the Big Blazin' Wave-

  、、、、まったく精力的な『J』の動きは、留まるところを知らないのだ。オレたちが、ワールドカップ・サッカ−NHK中継のテロップデザインをやったのも、この頃。、、、まぁ、確かに日韓共催ワールドカップ・サッカ−・イヤ−ってコトでもないが、普段より、ずぅッと!テンションが高かった2002年。エネルギッシュ!完徹もなんのその!

  ア−トワ−クもガンガン転がった。お互いに、大好きな夏に、太陽に向かった!
  21世紀の幕開けに『hide』が、未発表曲を何やら、、、、用意してる!
『In Motion』が『Junk Story』が、LAST SINGLEに準備してるって、驚きのNEWSが飛び込んで来た。。。。。
  2nd ALBUM "PSYENCE"制作期間中に作られて、完成途中だったProduce+Arrangement+All Guitars+Bass+Vocal by hide
  その楽曲が、I.N.A.ちゃんの元で、誕生を待ってるらしき!!!

  で、もって、もしかしたら、、、、『In Motion』が、hide 2nd tour"PSYENCE A GO GO"のメンバーでのレコーディング!
  、、、、ってコトは、、、、、

  Pataが、Kiyoshiが、CHIROLYNが、D.I.E.が、JOEが、I.N.A.が、そして『hide』が!またまた集うのだ。この星に、新しいヤツをプレゼントしちゃうのだッ!魂に、何かが、駆け抜けて、オレの全細胞が、叩き起こされるようだった。
  オレは『In Motion』そして『Junk Story〜hide single collection』ジャケットデザインを、、、。
hideに関わった全てのスタッフの「愛」が、込められた、、、、長い旅路の途中にいる吟遊詩人を、オモチャのようなパッケ−ジに詰め込んだ。ここまで詰め込みますか?ってくらい欲張ったオモチャ箱を、自身の中にいるhideに聞きながら準備した。ここでも、hide MUSEUMやLEMONedのスタッフには、あらゆるオレの、わがままを聞いていただいた。よ〜くジャケットを覗いていただけると、細微にわたって、みんなの「愛」が入ってるから。。。ホントは原寸サイズで、そのまま見せてあげた〜いくらいだ。。。

  そしてまた、2002.10.12『hide's PSYCOMMUNITY Special!! 〜Junk Story』代々木第一体育館での、最新型ライヴ。が開催される、実現することが、決定したのだ! hide MUSEUM館長"松本裕士"をはじめとする全てのスタッフ達と、Pataが、Kiyoshiが、CHIROLYNが、D.I.E.が、JOEが、I.N.A.が、そして『hide』が!   Jが煽り始め、森雪之丞さんが、鮎貝健が、モンちゃんが、東海林のり子さんが、そして、なんといっても、ハイテンションなオ−ディエンスが、巨大な新型生命体を、また銀河系に誕生させちゃいそうで。。。。 
  オレは、、、hideと数々のコンサート、テレビ番組、ビデオ作品で共演したTOMOE SHIZUNE & HAKUTOBOとの舞踏/BUTOHとライヴドロ−イングでのコラボレ−ションをやった。、、、自由な、空気にまかせて、思う存分やった。筆先に自由が降りて来た。
  素晴らしい快晴にも恵まれて、、、、イエロ−ハ−トで築かれたライヴペインティングのブ−ス前に集まった子供たちの、そのキラキラした笑顔が、さらに輝いていて印象に残ってる。青空が、最高の宇宙からのプレゼントだった。
  産まれたからには、宇宙からの大切なメッセ−ジを!いつのまにか、忘れちゃいそうな人類に、国境を超えちゃう、あらゆるラインを超えちゃう『絵』ってヤツで、、ハッピィに伝えてあげなきゃ、、、、、、、。
  ガキん頃は、誰もが『絵』は描くんだけど、、、いつの間にか、人間稼業やってくうちに、、、忘れちゃってさ。なんだか、寂しいよねっ。あったり前だけど、自由に描くって、物凄くポジティヴで、ハッピ−な行為だよ〜ん。なんて、考えながら。アッケラカ−ンと。
  久々に集った怪物さん達は、それぞれが、また、進化したオンリ−・ワンってヤツを、アッケラカ−ンとプレゼントしちゃった、忘れられない、新しい日。旅の途中の、またまた、新しい日。楽しいコトって、どんなに時間があったって、とても、足りないんだよなぁ。。。。。この時間が、永遠に続けばなぁ、なんて、感じの∞ Motion。

  あの、< SE/PSYENCE FACTION Special edition >から揺らしちゃって、、、< ROCKET DIVE >で、会場に集ったヤツラ全員のっけて、一気に宇宙に向かってオバカ THE ROCKは、またまた、永遠に遊ぶ!!「遊びたりねぇ〜よ〜、遊ばせろ〜〜!!!!」by hide

  ひっちゃかメッチャカ!その!おお賑やかな巨大な新型生命体は、確実に、終わりのない旅に出たのでした。。。。
  SPIRITSは永遠。dead start。いつだって、松本秀人は、みんなの中でSTARTとして生きてるんだ。
  この時期、ニューエイジ・オルタナティヴ・ロックの4人。『CULT OF PERSONALITY』と出会った。2001年には、『downset』のJAPAN TOURもサポ−トして廻り、来日記念コンピレ−ションアルバムにも参加しちゃってるらしい。全曲日本語ながら、なんとも、これまたジャンルに縛られていない、オリエンタルな薫りのする、新たなチャレンジをそこに見つけた。
  ダ−クな世界に止まっていないポジティヴなメッセ−ジと奏法スタイル。何度でも聞きたくなるような、独特なボ−カルスタイル。

  LINDA、hATCH、K.E.N.S.A.K.U.、KNOBの4人は、みんな素直で、こっちが照れてるのを、突っ込んでくれたりも、した。オレなんかが、手掛けた『THE MAD CAPSULE MARKETS』などのVIDEOクリップも、熟知しており。また、オレなんかのジャケット・ア−トワ−クも、もちろん。で、初対面から、打ち合わせもストレ−トなセッションで、面白いモノとなった。何度かの撮影セッションでも、逆にオレなんかが、質問責めにあうくらい。。。アイデアにも積極的に協力してくれた。可愛い弟分との出会い。  
  アルバム『under the sun』ジャケットデザインと、VIDEOクリップ『the real thing?』監督を依頼された。なんでも、
その楽曲の中では、ゲストとして『ORGY』のG-SYNTH. アミア・デレクや、『ILL NINO』のロジャ−・ヴァスケスを向かえているらしいのだ。じゃ、クリップにも登場していただこうってワケで、、、、、、、、。
  オレとスチ−ルカメラマン+ム−ビ−カメラマンはG-SYNTHで参加のアミア・デレクが滞在する L.A. でシュ−ティングしようと考えた。

  ひさびさの西海岸シュ−ティングだが!ここでは、できる限り、また無駄を排除したシンプルな撮影のみに終始した。ロケ場所にも深い意味は、ない。太陽の下であれば、何処だっていい。そんなイメ−ジだった。スト−リ−もない。
人が、ただ、そこに居る。存在する。歩く。
崩れゆく、崩れゆく様を、耐えられない今は。。。。。
汚れゆく、汚れゆく様を、止められない今は。。。。。。
  そこに居る。存在する。歩く。そして、内面奥深く、感情が、何処までも、奥深く、自己の殻を破れと歌う叫びを。。。。。
彼ら4人の、ポ−トレイトの中に見つけていたからだ。
  L.A. でシュ−ティングのグル−プショット。これは、お気に入りになった、が。何処だったのか、覚えちゃいない。存在する。歩く。そう、歩き出したから、、、、。

  余談じゃあるが、撮影後にみんなを連れて行ったのが、、、、。葉巻が好きになったオレが、WEST HOLLY WOOD でお気に入りのスポット。スカイ・バ−。葉巻きくわえて、寝っ転がると、ホントに満天の空の星が、みんな見えるんだもん。。。
  そこでも、『KISS』 の 『Paul Stanley』や、『ROB ZOMBIE』に遭ったりして。。。あぁ、やっぱ HOLLY WOOD ってカンジ。

  大自然の中に、突然、作った街なんだなぁ。。。。なんて、感じ。宇宙を感じた。同時多発テロの起こった国に、居る。存在する。人。
  この夜の、安らかな時間でも、時は。。。。人は。。。  
  そして、また、この時期、関西から登場ニューエイジの元気もの5人組との出会いも。『Waive』だ。渋谷ON AIR EASTのGIGが最初。まったく元気。そしてポジティヴ!ギターバンド!オレも最初に社会人になった頃、18・19歳って大阪に住んでたんだけど、とにかく大阪人ってのは、いつでも前向き。そしてポジティヴ思考。まさに、その代表のような、バランスのとれた5人だ。何故に、ってくらい明るいのだ。
  2000年に大阪で結成され。各地のワンマンライヴをSOLD OUTにしちゃってる、そのエネルギ−は、ウン。とても楽しい、オリジナリィティ溢れるライヴとPOPなキラキラした楽曲。MCっていうか、ト−ク。そう、ト−クも笑い溢れる、、、、楽しい。
  田澤 孝介、杉本 善徳、貮方 孝司、高井 淳、松岡 太郎。『Waive』だ。

  1st アルバム『INDIES』ジャケットデザインで本格的に初セッションと、なったのだが、このニューエイジ達もアイデアフルだ。素直な子供のまま、アッケラカ−ンとオレなんかにアイデアをぶつけてくるのだ。なんたって、彼らのレ−ベルのキャラクタ−・鉄パイプくんってのも、いろんなヴァ−ジョンがいて笑えた。オレん中にあるPOPな感覚が起こされた。みんなでGパン・白地T-shirt にアルバムタイトル『INDIES』をプリントして、それジャケットに。モノト−ンの衣裳でカッコイイ演奏してるポ−トレイトを。ってカンジでトントンと撮影は進んだ。なんたって、分かりやすいポジティヴ!ギターバンド!カメラマンの有賀さんも『Waive』にのってる!
  無駄なコトやってる時間なんか、『Waive』には一切ありません。そして、どんな妥協ってのも、ありません。

  こうなりゃ、ホントに面白い。アイデアのキャッチボ−ルが、楽しいのだ。パッケ−ジの質感から、特殊な加工、単に歌詞と写真をレイアウトしただけに止まらない遊び心。杉本くんなんかは、ウチの事務所まで出向いて、アイデアを伝えてくれる。描いたり、切ったり、貼ったり、もう、コラージュ感覚で遊んでくうちに、次のアイデアが出てくる。歌詞カ−ドにも、それが、そのまんま出てる。
  続くMAXI SINGLE『キミノヒトミニ恋シテル。/わがままロミオ』のジャケットデザインでも、それは変わらない。 笑顔がピシャリくるんだ。いつも。なんだか、一緒に作ってるって楽しい。ステ−ジの楽しさと真剣さ。そいつをデザインの現場でも感じている。ハマッた時の、あの気持ち良さ。ピシャリきた時の!
  以前から、『BUCK-TICK』や『LUNA SEA』のLIVE後の楽屋打ち上げなんかで、紹介されて面識はあったものの、『PIERROT』とは、初めてのセッションとなった2002年。   シングル『PSYCHEDELIC LOVER』ジャケットデザインがスタ−トとなった。その、デモトラックスを聞かされてオレがイメ−ジしたものってのが、眩しいくらいの新緑のグリ−ンの世界だった。楽曲を聞きながら、その圧倒的な生命力を感じ、、、眼を閉じた。そして、一面カラ−の夢を見た。それは、蛍光グリ−ンの色だけの世界。。。心地イイ空間なのだが、上も下もない、影も、、、そんな宇宙空間。。。。眩しい。いや、心地イイ。。。暖かい。。。。。
  そして。。。色とりどりの、不思議なカタチの花が咲き乱れる草原を、大地ギリギリを低空飛行する世界だった。

  早速、パッケ−ジのイメ−ジをスケッチした。写真を撮ろうなんてコトよりも、パッケ−ジが、、、、。蛍光グリ−ン半透明のオヴジェ。永遠の生命に愛を込めた蘇生を意味するアイコンをUVシルクで、赤で盛上げて、、、、歌詞カ−ドは3ッ折りにして、、、。なんて、珍しく、 「絵」よりもカタチ=オヴジェとしてのCDパッケ−ジが、浮かんだ。CDを聞きながら見る時には、圧倒的な極彩色が、ハッとする勢いでリスナ−の角膜を刺激すれば、イイかなぁ、、、なんて、、、、。
  『PSYCHEDELIC LOVER』にピッタリのメンバ−・ア−ティスト写真ってのも、ハッとする勢いでリスナ−の角膜を混乱させる実験的な、ある種ストリ−ト・パフォ−マンス的なアプロ−チがハマルって実感していて。。。。
  空虚感ある大都市のエスカレ−タ−を5人が、蛍光グリ−ンのオヴジェを身に纏い、ただ、マネキンの様に無表情で昇っていく場面だった。なんとも、大胆なアプロ−チにキリトたちは、果敢にチャレンジしてくれた。ここまでくれば、あらゆる狂気をも、呑み込んでしまってる。過去に撮影された、ROCK BANDのフォトセッションの何処にも属さない、この東京の、『PIERROT』でしか表現できない、オリジナル!

  続くシングル『HILL-幻覚の雪-』ジャケットデザインでもセッションしたが、この『PSYCHEDELIC LOVER』のア−トワ−クは、もう一生忘れられない時間となった。(オレは、もう考えられないムチャクチャな理由もあるけど、ね。)
  とにも、かくにも、最高の仕事のひとつ。。。。。
  まったく、その精力的な男『J』からは、続いてシングル『Feel Your Blaze』を、そして、2003年頭には日本武道館GIGをも睨みニュ−アルバム『Unstoppable Drive』をドロップすると、いう。。。。。閉鎖的な日本の音楽シ−ンの現状を打開しようと、熱いポジティヴな思いは止まることを知らない。Tour the BLOOD MUZIK 02 Summer-Ride the Big Blazin' Wave-で、そのオ−ディエンスのエナジ−を吸収した『J』って怪物は、さらにハイに、そのTHE ROCKの熱を高めようとしている。

    『Feel Your Blaze』のPHOTOセッションでは、そのアナ−キ−な発想のモト。この満足できやしない音楽シ−ンの現状を、心の中の銃で撃ち抜くべく、『J』は素手で銃をイメ−ジしてファインダ−に向けた。闘争宣誓のポ−トレイト。装飾をまったく排除した強さ!
  『Unstoppable Drive』では、何故だか、無邪気なドロ−イングっていいなぁって話してて、、、、
  子供の描く世界って、未知数だし、ね。まったく限界地点ってモノがない。放っておくと、紙どころじゃない。部屋中がラクガキだらけ、まるで宇宙から誰かがやってきて、その手を使って。。。。現状で満足しちゃってる大多数の大人に、なんだか、伝えようとしてる。。。。
  目の前に見えるモノは、もっと輝いていて、可能性が広がってるんだよ〜なんて、ね!
  いつの間にか、あれしちゃダメ!コレもダメ!他人と一緒になることばっかりを押し付けられて、一般的を合い言葉に、、、。現状、満足で、ぬるま湯に浸かってる世の中に対して!描き殴ってる!そんなジャケットにしたいよね〜って!
  ギタ−FRANZ STAHLの愛娘!NICOちゃんが描いた『J』。ツノがはえてる(笑)。。。そしてカメラマンMASAの子供SIONの描いた「おばけ」その絵が自由に、大暴れしちゃってる。『Unstoppable Drive』には、ピッタリ!まさに、「止められない。止まらない。止めない。」
  可能性の輝く、その原画とセッションできたのは、楽しい出来事でした。。。。ああしたい。こうなりゃ最高。って、まさに精力的な男『J』とのセッションは、アナ−キ−でラジカルで面白いのだッ!子供の"転がり方"!
  仲野茂(ANARCHY) + YOSU-KO(COBRA)によるユニットANARCHY NAN DA COBRA 『東京』のジャケットデザインを、極ストレ−ト!オレの直球でデザインした。筆で、勢い!一発しか描かないで!東京!真直ぐなサウンドにハマッた!   その直後、INORAN 2003カレンダ−のアートディレクションの話しが持ち上がり、、、何故だか、『上海』。
上海!に向かいたい!って、決定した!!しかも、カメラマンなしで。そう、なんだか、リラックスした普段でイイんじゃん。。。なんて、発想で。オレがポラロイドで、友人旅行のスナップなんて感じで撮影する!。。。絵コンテも大掛かりな撮影セッティングも、ない。
  INORANが見たい・行きたいって場所を「観光」しちゃってて、それにノッかってオレなんかも「観光」しちゃってる感じ。なんたって初めての上海。。。なんだか夢に出て来そうな近未来なモダン建築、、、おもしろいタワ−もあって。。。中華料理もやっぱ美味しいワケだし。ちょうど、何かのお祭りも、やってたり、、、、。こいつも、新鮮だった。寺院やら、デパ−トの屋上やら、これまたモダンデザインなJAZZ BARやら、、、。東京でオフで遊んでいる時と同じニュアンスで。オフだよ!オフってくらい!明日は、何処行こう。何しよう。って。
  毎日眺めるダイアリ−にしよう。って、そんでもってScreensaverやデスクトップのWallpaperやらもオマケでくっつけて。これまでのカレンダ−って考え方から変えちゃうイメ−ジで。
  しかし、夜景は、当たり前だけど素晴らしく。何故だか、インドネシア料理が旨かったってのが、思い出に残ってる。新しい仕事の、撮影旅行の楽しみ方の勧め!である。ホント、上海でのお酒は、旨かったのだ。  
  西麻布の一角にあった『レッドシューズ』。様々なジャンルのアーティストのたまり場でもあった、スッゲ−印象に残ることの多かったBARだ。オレが育ったって言っても、おかしくない。永遠に続きそうな夜を、様々なア−ティスト達と、そこで朝まで大騒ぎして過ごし、何度、眩しい朝日の中、さらに、もっと!もっと!って遊んだか。

  あの「雷神・風神」を、も一度、掲げて。この年の暮れ・2002.12.5.『レッドシュ−ズ』が再度オープンすることになった。
  当時店長だったDJモンティ−ヌ(RALLYオ−ナ−/門野=モンchan)から、オレと『J』に相談が持ち上がった。
  70年代・80年代・90年代のア−ティストが、新しい仲間を作るのには絶好のロケ−ションの場を、新世紀に復活させよう!そんな勢いで、3人で、南青山界隈の店鋪候補物件の内見から始まって、レイアウト・イメ−ジ。。。カウンタ−。。。テ−ブル。。。グラフィックス。。。
  様々なアイデアに、このオバカな脳みそフル回転〜!!!

自身が育ったイメ−ジを、じっくりと思い出しながら、、、、。ブッ跳んだアイデアの数々!を誕生させてきた場所の復活に向かって。

  ここでも、15年・20年って年月の経過には、驚かされるモノがあった。モンchanと喋ったら、出て来る、止まらない、終わらない、『レッドシューズ』伝説。これからも変わらないスタンスを提示して、見せる。それが、強力なグル−ヴの進化系かも。流行り廃りに、フラフラと流されない主軸ってヤツを、しっかりと死守しながらも、止まらないで、歩く。走る。前を向く。そんなコトを考えた2002年の暮れだった。