015◆つながった世界の、謎。1996年。
年末も押し迫った1995年12月23日。その日は、NHK B・Sドラマ『つながった世界』にキャスティングされ、オレ!初めて、役者!!!ってのを、体験するはめになった。共演はアナ−キ−の『仲野茂』。監督は『諸沢利彦』。で、プロデュ−サ−は『DJ KRUSH』の事務所の『浅野典子』。『仲野茂』は何本か、もう随分昔っから、映画やVシネマにも出てるし、舞台にも出てるから、、、!でも、なんで、オレがキャスティング!、、、、????まぁ、いいけど。
そのB・Sドラマでのキャスティングは、ある種、普段のまま。そのまんま!だけど、『仲野茂』は30歳を過ぎて、なおロック・シンガ−を永遠と続けてる自由人のシゲル。
と、その弟分で、国内からちょっと姿を消してた、、、(ここだけ!は違うけど、、、エイズに感染しちゃって、「死」をとらえちゃった)、、、、どこまでもサッカ−を愛する!これまた自由人のケン!
、、、、もう、久々に東京に帰って来て、いつものどうり、二日酔いで。まだまだ寝てる『仲野茂』を、突然訪ねるオレが居て、、、、なぜか、「シゲルゥ〜!ロッカ−なんだから、デブんないように、サッカ−やろうゼィ!」って、街の中へ連れ出して、、、街中でサッカ−やっちゃう。、、、「ど−せ!ケンはエイズに感染してるから、長生きなんかできねぇーヤツ!久々に顔出したんだから、、人生最後の、わがままくらい付き合ってやろうかなぁ〜」って気分で、二人は街の中に繰り出した。そこでの、、、長〜い、長い一夜のドラマだった。
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最後まで、オレがエイズで死ぬ場面!が、なくて、ホッ!としたし、、、『仲野茂』とオレだけしか、出てこないし、、設定もスタッフのみんなも、いつもオレが映像の仕事する時のまんま!で、なんか、こんなんで、NHK B・Sって、いいのかなぁ〜?ってくらい、普段のまま!ありのまま!の状態で、演技できた。、、、、ただ、、オレは台本の中にある諸沢さんが書いた「長い台詞」がアタマん中に入るかどうか!が、心配だったのと。メチャクシャ寒い冬!だってのに、日焼けして、ショ−ト・カ−ゴパンツと、裸の上に1枚のシャツだけ!でしょ。、、、、(街中で、全力疾走!って設定だったから救われたけど、、)、、、まぁ、早朝から、夜中まで。途中2人で銭湯入ったりして、寒さも乗り越えて。なんなく、その日のシュ−ティングは、終わった、、、。
これで、楽しみにしてた、『LUNA SEA』初めての東京DOME LIVE12.23『LUNATIC TOKYO』は、見に行けなかった。でも、まあ、またいつものスタンスで『LUNA SEA』の5人は、オ−ディエンスと一体になって、新しいLIVEを作り上げてるハズだ!なんて、思って。打ち上げだけでも、、、って!『仲野茂』誘って、六本木をめざした。で、そこでも、『BUCK-TICK』の『IMAI』とか、『BY-SEXUAL』の『NAO』が居て、、これまた、いつものメンツ!で、呑んだ!呑んだ!『LUNA SEA』の5人も、いつも以上にみんなが、弾けちゃってて、なかなか、面白い雰囲気だった。、、、、で、また最後はオレん家で、、、朝まで呑んだ!24時間!戦えた!
年末ってのは、なぜだか!弾けちゃうワ〜!クリスマスも、その勢いで、、、いつもの顔ぶれで、!呑んで!騒いで!駆け抜けた〜。
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1995年から1996年への年越しは、ベルギ−のブリュッセル&ゲントで開催されるクラブでのJAPAN NIGHT!!!NEW YEARSに向かう『DJ KRUSH』&『KEN ISHI』の同行スタッフとして、ビデオ・カメラを持って、ヨ−ロッパへ!初めての国ベルギ−に行った。何度目かの、海外での年越し!しかも、初めての仕事!
オレはひとり、フランス・シャルル・ド・ゴ−ル空港経由で、太陽の落ちたブリュッセル空港に12月30日に着いた。、、、、で、、、、いつまで、たってもオレのトランクが出てこないんで、文句を言いに空港係員のところまで、出向いたら、、、、なんと、別の経路でブリュッセル空港に着いた『DJ KRUSH』がいて、、、同じようにトランクが出てこなくて、文句を言ってた!!偶然にも、そこで、再会した!!!
「へぇッ!珍しく世界の反対側で、つながっちゃってるじゃないヨ−!」。『DJ KRUSH』は笑ってた。現地のコ−ディネ−タ−の案内で、その日の晩飯は空港のレストランで、、、で、ホテルにチェック・インしたら、、さっそく、翌日のクラブの下見。とにかく、街中がミステリックな深い霧でおおわれた、、、まさに、謎の街ブリュッセル。オレンジ色の、やさしい光の街灯で照らされた石畳の歩道は、なんとも言いがたい「幻の都」なのでありまして、、、、なんか、、、夢か映画でも見てるようだった。
『DJ KRUSH』はJAPAN NIGHTに向けて、クラブのサウンド・チェックにも、余念がないが、、、オレもドキュメント・ビデオを廻しながら、次の仕事、、THE MAD CAPSULE MARKET'SのVIDEO クリップにでも使用できそうな素材撮りに、夢中になった。その日は、『DJ KRUSH』と同部屋だったが、、、例によって、、、酔っぱらって、、ブッ跳んじゃって、、、きもーち良く、夢の中!夢の〜な〜かぁ!ぐっすりと、、、ベルギ−の初めての日を、、昼過ぎまで、寝れたとさ。
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翌日、ワッフルを紅茶で、いただいてたら、、、昼間のベルギ−の街が、目の前にあった。静かで、やっぱり霧でおおわれてた。古い町並からくるのか、、、ミステリアスで、、、時間経過も、なんか、スロ−モションに感じた。鳥の跳ぶアクションが、まるで写真のコマ撮りで見ているようで、、、、。そして、この街の雲はえらい近く!低くあって、、、手で、すぐにでも掴んで食えちゃいそうで。
ここは、ホント絵で描いているかのような、街だなぁ〜なんて、、、とにかく、のんびりと、まるで老人のように、ゆっくりとお茶して、クラブでのJAPAN NIGHT!!!NEW YEARSのスタ−ト!の時を、待った。
ブリュッセル&ゲントの離れたクラブで、『DJ トビ−』を含めた3人それぞれは、交代でDJプレイをした。さすが、NEW YEARS PARTY!!この国でも、、盛大に盛り上がってた。極東からやってきた世界のDJ『DJ KRUSH』&『KEN ISHI』『DJ トビ−』!は!さすがに!ここ、ベルギ−でもクラブのオ−ディエンスを掴まえて、離さなかった。
オレは、それぞれのDJブ−スに上がって、ビデオ・カメラを廻したのだが、、、『DJ KRUSH』からは、「ケン!酔っぱらってオレのDJプレイの邪魔するヤツが居たら、カメラで頭ドツキまわしてもいいから!」なんて、言われてたもんだから、、ファインダ−を覗く眼と、頭の後に、第三の眼でも着けてるか!のごとし!相当の注意力で、撮影に臨んだ。
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なにも問題なく、素晴らしい『DJ KRUSH』のDJプレイが、終了して。、、、しばらく、オレはブリュッセルのクラブで、今度登場する『KEN ISHI』のDJプレイを待ちながら、軽く呑んで遊んでた。
なんか、やたらと若くて、きれいな金髪の女の子にモテモテ!のオレッ!KISSもらっちゃったり!ドリンクもらっちゃったり!、、、、最初はドギモ抜かれ、有頂天!スッゲ−じゃん!なんて、楽しんでたが、、、、しばらくして、気がついた。、、、、写真も見たことない『KEN ISHI』とオレのことを、、金髪の女の子たちは勘違いしてたので、ある。(現地のコ−ディネ−タ−が教えてなきゃ、、、ベルギ−で、、、愛が、、芽生え!!!!、、ないか!)、、、ケンって名前だけで、モテるなんて、、トホホッ!
今度は、『KEN ISHI』のDJプレイだ。オレはまた、DJブ−スに上がって、ビデオ・カメラを廻したのだが、、、、、今度も大盛況!大盛況!だ!、、、、ところが、、、『KEN ISHI』のDJプレイの最中に、機材トラブルが発生!!!するもの、の、、!なんとベルギ−のオ−ディエンスたら、、、曲のブレイク! だ!なんて思って!さらに盛り上げてしまった。DJブ−スから裏口を通って、楽屋に帰ってる時、『KEN ISHI』が「機材トラブルあったって、観客わかってたかなぁ?くやしい!くやしいいなぁ!」なんて言ってたけど、、、「ベルギ−のオ−ディエンス!最高っす!よ!ISHIさんとオレのこと、勘違いしてた女の子からKISSもらっちゃったり!酒もらっちゃったり!で、、、おまけに、機材トラブルは、盛り上げるためのブレイクだと思ってるから、みんな!、、、」2人して、大爆笑!した。
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1996年元旦は、JAPAN NIGHT!!!NEW YEARS帰りの『DJ KRUSH』とオレ。朝帰りのHOTELの1Fのレストランで、、、ベルギ−・ビ−ルで乾杯!って、やった。窓際の席だったから、、、『DJ KRUSH』を追いかけて、なりの悪そうなガキが窓の近くまで、、付いて来てて、なんか、やたらオレたちに向かって喋ってる。窓越しは、気持ちわりイ!!ぃんで、、、レストランの中まで来いよっ!て、手でサイン送ったら、ね、、。そいつら、酔ったイキオイで大騒ぎで、HOTELの中に入ろうとして、、ドアマンと、ケンカになっちゃって、、、、、、。「あぁーバカだなぁー!普通にすれば、いいのに、、」なんて、、、徹夜明けの元旦に、、、そのまま、、『DJ KRUSH』はレコ−ディングが待つ東京への帰路へ。
オレは、またひとり、ベルギ−から、ロンドンへ、、、、向かった。せっかく来たヨ−ロッパ!!今年の正月はロンドンで過ごそう!そう、思った。ミステリックな深い霧でおおわれたハイウエイを抜け、、、まさに、謎の街ブリュッセルに別れ告げて、、、
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1996年元旦。ガラガラのブリテッシュ・エア−でロンドンへ。その日、ホテルにチェック・インして、、、目覚めた1月2日の夜。2年前にロンドンで撮った『THE MAD CAPSULE MARKET'S』の『公園へあと少し』のPV撮影で知り合って、友達になったペインティング・ア−ティスト『Gregory Gordon』の家をひさびさに訪ねて、映像制作やベルギ−でのクラブ・イベントのこと、ア−ト・ワ−クのこと、、etc.
身ぶり手ぶりも加えた、妙な会話に、バ−ボンを流し込み、、、いい気分で、その夜を過ごして、、、
『Gregory Gordon』のお勧めするアフリカン・ビ−ツの奥そこに、『DJ KRUSH』の操る、地球の反対側の極東のビ−ツ!オ−ルド・スタイル!が見隠れしてて、、、、オレも『Gregory Gordon』も、もはや、言葉は必要じゃなくなって、、、
同じ『つながった世界』の中で、同じタイミングで笑って、笑って、、、もう!最高に楽しんだ!あぁ−!最高の、お正月のPARTY!
で、翌朝タクシ−で、宿泊先のHOTELを目指すのだが、、、、!なんか、このタクシ−・ドライバ−!、いつもと違った、道を通って行くから、、、、オレちょっと怒って!「違うんじゃ!ないのぉ!」って騒いだの、ね。そしたら、タクシ−・ドライバ−!「じゃ!警察いくか!」って言うから、、、「もちろん!警察で聞いてみろっ!」って、、、、
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そして、警察行ったんだけど、、、、今度は、物凄い剣幕!でタクシ−・ドライバ−!がポリスマンに喋り始めた。オレは別のドでかい!ポリスマンに連れられて、別室へ行ったら、、、パスポ−トを含む所持品をすべて没収されて、首根っこ掴まれて、、、、、(ドライバ−に対する職業上の侮辱が、多分、その理由だとー)
なんと、そのままJAIL、、、監獄入っちゃった。!!!!!ウソッ!でしょうが!1月3日!だゼッ!!しかも、生まれて初めての、留置場がLONDON!警察だなんて、、、!ホント、何に〜も、ない。ムキ出しの便器に、残り少ないトイレット・ペ−パ−とコンクリ−トに、ビニ−ル・シ−トを張っただけの、ベット!しかも、寒い!毛布も、ない!もう一度、、、、その窓のない部屋の中から、、その鉄の厚いトビラを、コブシで殴って「レット!ミ−!アウトゥ!!!」なんて叫んだところで、、、ダメダ!!!!、、、、タメ息に変わった。
留置場なんだ!!!!ここは!LONDON警察だ!夢なんかじゃない!が、、、、これが、夢であることを、祈りながら、コ−トを被って犬みたいに丸くなって、そこの部屋の隅っこで、瞳を閉じた。
で、今度は翌日タタキ起こされた!「この書類にサインしたら、帰れ!!」って、、、外に出て、、、また、びっくり!そこは、昨年1995年夏に、事務所のみんなで滞在したエッジウェアロ−ドのフラットの前。ここはエッジウェアロ−ド署だったんだ。19歳の頃、始めて滞在したのも、ここエッジウェアロ−ド!で、初めての留置場もエッジウェアロ−ド!なんか、ここでも『つながった世界』を感じた。
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その後は、なぜだかスイス・センタ−で新作フランス映画『THE CITY OF LOST CHILDREN』を見るが、フランス語に、英語の字幕、、で、頭の中で、日本語って感じで、アタマん中は、暴れてグチャグチャ!だし、、、、で、アメリカ映画『SEVEN』とか、観るが、、、スト−リ−の奥が見えてこなくてイマイチ!な感じ、で、つまんねぇーなんて、、、買い物も、、ちょっと、ねえ。なんて、、、。
で、誰か居ないッかなぁ!って思い出して。1995年夏に、『PITCH SHIFTER』とか『BIOHAZARD』のLIVEで知り合った友人のMAKIちゃんに、連絡してみたら、、、なんと、、なんと!オレも知ってるバンド『CARCASS』のドラム!『KEN OWEN』と付き合ってて、、、今は、NOTTINGHAMに一緒に住んでるって、言うから!!これまた!ビックリ!なのだぁ!「って、、、ことは、、、『PITCH SHIFTER』とか友達になったのぅ?」なんて聞いたら、、、「ケンちゃん!NOTTINGHAMに遊びに来てよー」って言うもんだから、、、、さっそく遊びに行った。
『KEN OWEN』とMAKIちゃん。あと、クラブDJのテクノ・ボ−イ!とか、ホ−ム・シェアしてるみんなが、東京から来たオレのことを、大歓迎してくれた。『PITCH SHIFTER』のコンポ−ザ−Johnney.A.Carterとガ−ルフレンドもやって来て、、、オレが喋る『DJ KRUSH』&『KEN ISHI』ブリュッセル&ゲントでのNEW YEARS PARTY!!の話を興味津々で聞いてきた。ヤツラ『DJ KRUSH』の音楽が大好きだった。おまけに、オレのやったア−ト・ワ−クも気に入っているようだった。
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まさか、、、あんなヘビィなバンド・サウンドのヤツラがぁ〜って、びっくりもしたが、U.K.の--MO'WAXレ−ベルから『DJ KRUSH』は12インチをリリ−スしてるし、、なおかつ、NMEチャ−トに1位で、出てるワケだから、、、当たり前ちゃあ、当たり前だッ!
オレは『DJ KRUSH』のCDはもちろん。『BUCK-TICK』のアルバム『Six/Nine』やら『THE MAD CAPSULE MARKET'S』のアルバムとかプロモ・ビデオとか、プレゼントした。それから、、みんなでJEFF MILLSなんかテクノ・トラックス聞いて、、グダグダやって、、、。
それから、、『KEN OWEN』と一緒に『CARCASS』が契約してるレコ−ド・メ−カ−行って、、、、で、『KEN OWEN』はメ−カ−の社長の眼を盗んでは、、、オレに何10枚ものCDをくれたり。、、、行き着けのCDショップでは、お気に入りのコンピレ−ション盤を紹介してくれた。バンドものってよりは、、リズムまわり、、、あと、、エレクトリックなヤツとか、、アンビエントもの、とか、スペ−シ−なヤツ、etc.
思ってたより、NOTTINGHAMは小さな街で、、。そうやって、街ん中を廻って、、、休憩でカフェ行ったら、『PITCH SHIFTER』のドラム'D.'J.Waltersと、ベ−スのM.D.Claydenとも、会ったりした。『KEN OWEN』は、ホントやさしいヤツで、、、なんか、、MAKIちゃんに、ベタぼれ!みたいで、可愛かった。お互い"ケン"同志!ファ−・イ−スト&ファ−・ウェスト・ケン!「今度はTOKYOで会おうなぁ!」って、地球の反対側の新しい『つながった世界』友達と別れて!また、オレはロンドンに戻った。
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滞在の最終日は、ア−セナル・スタジアムにARSENAL vs SHEFFIELD UNITEDの、サッカ−を観に行った。応援してたARSENALは、終始そのゲ−ムを支配しながらも、、、4回も決定的場面のシュ−トを外しちゃって、、イアン・ライトが後半、突っ込んでやっとのことで、1点先制するものの、、SHEFFIELD UNITEDにつまらないミスから、、すぐ1点かえされて、、、、1-1。の、ドロ−。なんじゃ!コラァ!ボン戦!見せやがッてぇ!!!
同じチ−ム・カラ−のレッズ!だけど、、、やっぱ!ギグスとかカントナのいるMUNCHESTER UNITED!が最高だろっ!っていうこと!
あとは、帰国したらすぐ始まる『THE MAD CAPSULE MARKET'S』のVIDEO クリップに使用できそうな素材撮りを、LONDON市内で8mmFILMでガンガンと廻した。ア−。生まれて初めての、LONDON警察の留置場でも8mmFILMが廻ってたらなぁ、、ってバカなこと思いながら、オフだか仕事だか分からない、1週間のベルギ−&ロンドン生活は終わった。
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帰国後、1996年は年頭から、昨年からの仕事『THE MAD CAPSULE MARKET'S』のアルバム『4PLUGS』や、そこからカットされる『WALK!-JAPAN MIX-』のジャケットデザインに向かった。連日のように、メンバ−が事務所に来ては、生まれる新しいア−ト・ワ−クを見てアイデアを足したり、引いたりしてくれた。特にタケシは、Macを触っては、フォトショップとかイラストレ−タ−に興味津々!で、TOUR Tシャツやら、新しいステッカ−やらも、自分自身のアイデアをカタチにしていった。彼の兄貴も、実はデザインとかやってる人で、なんかタケシにも生まれ持ってア−ト・ワ−クの才能の血が、確実に流れてるなぁ〜、、、なんて、実感した仕事だった。
その後、『THE MAD CAPSULE MARKET'S 』のVIDEO クリップ『WALK!』『CRACK』を監督して、『神KAMI-UTA歌』『POSSESS IN LOOP』『S.H.O.D.O.K.U.』『O-U-T』がパッケ−ジされたVIDEO クリップ集の、編集に取りかかった。今度はオフライン編集室には隠らないで、オレの家にオフラインの機材をリ−スして、、、、自宅の生活の中心に、VIDEO CLIP編集を置いた。なんか、もう生活を捨てた感じ。、、、何日か、、その5曲しか聴かない日々が続いた。
メンバ−の4人も、次々にアキ時間を利用しては、、オレのVIDEO CLIP編集に付き合ってくれた。前作『PARK』とは、違ったアプロ−チのクリップがならび、さらに、スム−ズに進んだ。あっ!一度、KYONOが徹夜で、オレの家で一緒に編集作業してた時。朝、KYONOが車レッカ−移動されてて、「ケン!免許借りれる〜?オレもう点数ないんだ〜」って。オレそん頃、車もってなかったから、、、2人で、警察行って、、、。何回も「セイノさーん」なんて、KYONOが呼ばれてて笑っちゃったけど。「キョ−ノだろっ!キョ−ノ!」って、オマワリ突っ込んじゃったりして、、、(苦笑)!そん時のKYONOとオマワリが、まるで、コントみてぇで。
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そんなオレのVIDEO CLIP編集が、長期間にわたってて、、、、、あんまりにも呑み屋にも顔出さないで、自宅に隠りっきりの生活だったから、ある日、近所で呑んでた『BUCK-TICK』のメンバ−5人が、呑みを誘いに!オレの家を、みんなで襲撃!!!に来たことがあった!ユ−タなんか、冗談で、、、ドラム・テクニシャンAZAMIくんの自転車に乗っかったままで、土足で部屋の中に!入ってくるし、、、。(これって、ダウン・タウンの「ゴレンジャイ!」コント『BUCK-TICK』ヴァ−ジョンじゃん!って。)、、、、「分かった!分かった!分かった!」って、近所の焼き鳥屋から、スタ−トしての、呑み屋のハシゴ!!!ツア−!!!アンド!!!えらい遅めの新年会!!ってのも、やった!
で、彼らってやっぱり、バンドを超えちゃって、もう家族だぁって、、、。
その強固な結束で、新事務所「BANKER」が彼らの自らの手で設立されたのも、この頃だった。
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1996年 東京DOME LIVEでさらに大きくなった『LUNA SEA』は、ビデオクリップ集『 ECLIPSE I 』、そして 6thシングル『 DESIRE 』。続く7thシングル『 END OF SORROW』もオリジナルコンフィデンス初登場第1位!を獲得!と、同時に 4thアルバム『 STYLE 』リリースに向けて、またもや、怒濤のレコ−ディングに入っていた。
もう、今や、誰もが知る日本を代表するバンドへと成長した、彼ら5人は、絶対的な自身と、スタッフの全てを引っ張っていくパワ−に溢れていた。スタジオを訪れ、いろんなミ−ティングを続けながら、そのレコ−ディングに向かう姿勢には、もはや、デビュ−当時の少年のような面影はなく。、、、、超多忙なTV出演や、マスコミやメディアへの対応をも、乗り越え、その身体と精神をフルに働かせながらも、決して細かな部分にも妥協しない強さ!を感じた。リズム・レコ−ディングやギタ−・ダビングの途中の、ほんの少しの待ち時間にも、かかえわらず、スタジオの中のソファ−で仮眠を取りながら、、、ホント。『LUNA SEA』は、スタジオに暮らしているか!って感じだった。「オレたちが、オレたちらしく納得できるまで、、、!」って、いう5人のエネルギ−が、そこにブツカリ合い!
まるで、『RYUICHI』『SUGIZO』『INORAN』『 J 』『真矢』っていう、5個の、宇宙上の原石が!星が!!まさにオレたちの前で正面衝突して、新しい楽曲たちっていう=宇宙を産んでいるかの、ようだった。
それで、オレは彼ら5人の姿を、アルバム『 STYLE』の新しいア−ト・ワ−クに提案した。で、結局、宇宙上の原石!5種類!が黒いベ−ルのような宇宙空間上に乗っかっているイメ−ジ!、、、と、いうワケで、初回盤は原石!5種類!のジャケットになった。このアルバムも初登場第1位!で登場したが、この時点では、まさか、その後、彼ら5人がソロ活動に向かうとは、思いもしなかった。が、5種類のジャケット!すでに、ここで作ってたもんなぁ〜。ホント、わかんないよ。これ、ばっかりは、、、、。、、、、、その後への『つながった世界』、、、、、、。
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新事務所「BANKER」も構え、新しいアルバム制作に取りかかった『BUCK-TICK』。もう、年頭から曲作りに入ったメンバ−は、アルバム『Six/Nine』から、驚異的に短いインタ−バルでレコ−ディングに入った。今回はリズム・プロデュ−サ−にオレなんかの知り合いのベ−シスト『奈良敏博』さん(ex.『サンハウス』『SHEENA & ROKKETS』『仲野茂BAND』)を迎えて、IMAI+HOSHINOからボコボコと仕上がってくる曲から、リズム録り!、、、どんどんレコ−ディングも、開始された。これまでは、曲作りと、リズム録りと、トラック・ダウンを同時にやる!なんて、なんて、怒濤の!レコ−ディングだったけど、今回は、これまでにないスム−ズな感じだった。
あっ!そん頃、IMAIスタジオが、今度はオレなんかの事務所の、ほんと徒歩1分なんて近所に引っ越ししてきたんだ。シングル『キャンディ』が出来た頃なんて、IMAI!なんか!うれしそうにテ−プ持って、事務所に来て「聞いて、聞いて!新しいヤツッ!なんか、「北風と太陽」のたとえ話みたいに、ポカポカの太陽さんが出てきたら、チカラぬけてラクにコ−トを脱いじゃったカンジィ!」なんて、今だかってないスム−ズなレコ−ディングの進行にも、、、、いつもと違う満足感を、見た。その日も、呑みながらアルバムの全体構想を聞いたんだけど、シンプルにしたいっ!スペ−シ−に!って。
とにかく、難解!誤解!な大作の『Six/Nine』とは、まったく逆のアプロ−チを狙ってたようだった。
で、スタジオに遊びに行っては、ミックス・ダウンを5人でそろってチェックしては、帰りに呑みに行ったりしてて、、、!で、最後はIMAI宅で、また呑んで、、、。って、くらいに。余裕もあって、ドンドンと、完成していく曲をじっくりと聞きながら、ア−ト・ワ−クの相談もして。
あんまりにも、オレにも余裕があって!あまりにも、数多くのヴァリエ−ションを作っていくもんだから、、、、『キャンディ』のジャケットなんかは、最終決定にも、その色の配色で2種類どっちがイイかっ!なんて最後まで迷わせてしまった!で、アニイから「みんな、悩んじゃうから、いっぱいアイデア見せないでくれよぅ!」なんて言われたり、、、。
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あと、『COSMOS』って曲は、ホント呑んでる時、ホント宇宙空間に浮かんでるように、気持ち良くって、、、なんか幸せな気分になっちゃうんだなー。IMAI宅で、呑みながら、みんなで、ワイワイじゃなくて!フワフワとイイ気持ちになってたっけ!とってもスペ−シ−で!アルバムタイトルも『COSMOS』に決まった。で、そのパッケ−ジだけど、、、なんか、真っ白にしたくて!(アッ!これはヒデヒコのアイデアだったか!)全体にスペ−ス・ス−ツみたいに!ディスクも真っ白で!ケ−ス自体も真っ白で!で、ロゴの中には、「生」って文字を密かに隠して、、、、ジャケットに出てくるメンバ−は、本人のようで、本人じゃなくて、指名手配なんかの、モンタ−ジュ写真風にアレンジして、、、メンバ−が残した彼らの手掛かりっぽいオブジェを用意した。
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この頃はホントにIMAI宅で、みんなで呑むことが多くて、、、、「BUCK-TICK TOUR 1996 CHAOS」のTOURパンフレットを、メディア・プロモ−ション、、、TV出演の期間中の、ドキュメンタリ−と楽屋やプライベ−トを追いかけて、、、これまでの撮影スタジオやロケで作った世界感からは、逸脱しちゃって、初めての、呑んでる場面も含めての、普段ありのままの『BUCK-TICK』を撮影することにした。カメラマンの『MASA』も、『BUCK-TICK』の5人にラチされるから、自分の愛犬「マイカ」まで連れて、、朝までシュ−ティング体制でやって来た。TV出演時の楽屋風景から、、朝、恵比寿の屋台。そして、IMAI宅まで、どこまでも撮影した。多分、こんなプライベ−トな写真でまとめたのは始めてだったと思う。そんくらい、この時のTOURパンフレットを見返すと、いろんなエピソ−ドが鮮明に浮かんでくる。このプロモ−ション時期は、スタイリストの八木さんとオレ、『BY-SEXUAL』のNAO、RYOは、ほんとIMAI宅に住んでるんじゃないか!って思うくらい、毎晩泊まってたかも。IMAIが飼ってたクワガタがいる部屋で(ゲスト部屋?ってとこで)、、、ホント、毎日、毎日。IMAI宅から、事務所行って仕事して、で、また「ただいま〜」なんて、また戻っては近所に呑みに行って、、、、カラオケとかも、行ったりして。「今年こそ、夏はキャンプ三昧だぁ!」って、夏休みの計画を立てたり、、、、、。
『BUCK-TICK』がTOURに出かける日に、そん時のマネ−ジャ−も一緒に、朝まで呑んでて、二日酔い気味!で、「運転免許の点数が、あと1点で免停になるから、、ケン!運転してよッ!」って言うんで、オレがなぜか!運転して、成田までIMAIとマネ−ジャ−を送っていったことも、あったり。、、、、オレはこのTOURには、『LUNA SEA』の『 J 』もやって来た地元・高松と、、、大阪公演に顔出したんだけど、、そのままメンバ−にラチされちゃって、そのまま名古屋まで遊びに行ってたりして。こん時は台風で、新幹線が一時止まっちゃって、ある駅のホ−ムでウロウロしちゃってるヘアメイクの谷崎さんと、スタイリストの八木さん、とオレの3人が、難民みたいにTVニュ−スで流されちゃったり、、、。(笑)
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で、ひと段落した待望のオレたちの夏休み!!キャンプ三昧に出かけた。最初は丹沢だったっけー。『BUCK-TICK』からは、ATSUSHI、IMAI、HIDEHIKO、U-TA。スタイリストの八木さん。ドラム・テクニシャンのAZAMIくん。あと、地元・群馬の友達。カメラマンの『MASA』。『BY-SEXUAL』のNAO、RYO、『LUNA SEA』の J 。あと、いろいろ。場所変えても、夜ただただ気持ちイイ星空の下で、川べりの小石の上に寝ッ転がって酒呑んだり、釣り番長?HIDEHIKO HOSHINO!の指導をもとに、川釣りしたり魚をさばいたり、ATSUSHIが薪割りしたり、IMAIの作る究極のカレ−喰ったり、、、IMAIん家の犬「B・J」も、MASAん家の犬「マイカ」も、楽しそうに遊んで、はしゃいで!!、、オメェらも楽しいかぁ、てな感じで、楽しくって!!地元・群馬にも2回くらいキャンプにいった。群馬では、一度テントもタ−フも張って、さあ!呑むぞっ!って時に台風が来ちゃって、、、川の水面がどんどんと、増してって、、、、「マジッかよー!!」って大爆笑で!
AZAMIくんや、八木さん。『BY SEXUAL』のNAO、RYOが、慌てて帰り支度をしてるなか、、、IMAIとオレだけは、イス2脚だけになるまで、呑んでたっけェ!、、、、そんな、久々の夏休み!!でした。今でもアルバム『COSMOS』聴くと、キャンプで見た気持ちイイ星空を思い出すなぁ〜。
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『LUNA SEA』は7月から「CONCERT TOUR 1996 UN ENDING STYLE 」を全国にむけてスタートさせてた。で、秋から始まるENCORE TOURの間を利用して!か、どうかは定かではないが、『J 』は、どうしてもリスペクトしたい男『DJ KRUSH』との対談を組んだ。雑誌B-PASSの取材で、金光くんと、MASAが同行するってことだったが、、なんか、オレも一緒に行きたくなっちゃって、、、、、、。
『DJ KRUSH』のアルバム『MiLightー未来ー』+ビデオ『 阿 云 』の制作は、またもやNEW YORK!!、、今度はフラットを借りてレコ−ディング生活を続けてる最中だった。(ジャケット制作は、レコ−ディング終了後に東京で!ってことだったんだけど、、、、なんとかして、一緒にNEW YORK行きたくて、、、、なんか、理由つけて、、J が滞在中だけぇ!!ってことにして、、)で、『J 』と、マネ−ジャ−、金光くんと、MASA、オレの5人で『DJ KRUSH』の居るNEW YORKに向かった。
例によって、まず成田で寿司喰いながら、日本酒やってから搭乗した。で、オレは機内でも永遠と、、、ジンやら、バ−ボンやら、呑みまくってて、そのまま酔っぱらってケネディ空港に着いたのだった。さっそく、ハラ減ってるオレらは、メシ喰いに行こうってことになって、、、
「オレ、うまいチャイニ−ズ知ってるからっ!連れて行くよッ!」って、4人を先導して行くつもりが、、、(もう、へ!べ!れ!け!で、歩いてるうちに、町並が似てるロンドンを歩いてる気分に、なっちゃって、、、)あるハズもないロンドンのチャイニ−ズ・ショップを目指して、もう何丁目ものストリ−トを、みんなを歩かしてしまった。「ケェ〜ン!!此所でいいよ!此所で!此所でッ!」っていうMASAのでかい声で、ハッ!と気がついた!、、、アァ〜!またもや、大失態!!、、
で、チャイニ−ズ・ショップ入ったら、今度はスッゲ−気持ち悪くなって、、、三日酔いってくらいで。、、、、結局、みんなは夜、『DJ KRUSH』の居るレコ−ディング・スタジオ行ったんだけど、、、オレ独り、フラットで寝て過ごしちゃって、、、トホッホッ。
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翌朝は、『J 』に起こされて、、、「CHROME HEARTS」に行かないっ?って言うんで、直営ショップ近所だし、、、て買い物に出かけたのね。そしたら、ショップには、偶然だけど、、、「CHROME HEARTS」のデザイナ−がL.A.から来てた!なんか、ハッパやって、ブッ飛んでゴキゲンなヒッピ−っていうイメ−ジだった。MASAが、彼と、『J 』とオレ3人の写真を撮ってくれたりした。NEW YORKの直営ショップはまだオ−プンしたばかりで、、、、、。でも、その値段!!!あまりにも、高くて!ビックリ!なんだけど、、、日本って!それから、まだまだ!もっと高いワケでしょ!ハヤリを追っかけてる日本の少年たちよ!NEW YORKの直営ショップまで来て、、買いなさ−イ!って思ったね。
その後、アメリカのMTVアワ−ドとか、やってる会場「マディソン・スクエア−・ガ−デン」とか、ライブ・ハウス「CB・GB」とか見に行ったんだけど、、、その途中にも、『J 』とオレは偶然にも大好きなベ−シスト『RED HOT CHILI PEPPERS』のフリ−とかと、ばったり会ったりして、、、ホントここにも『つながった世界』を見たような気がした。、、、、1日の間。それも5〜6時間に、この広い世界で『J 』が会いたいヤツ!と、2回も会うなんて、、、。
偶然にも翌日には、近い将来に!まるで神が仕組んだ必然のように『LUNA SEA』終幕の後、間髪入れずに開催した『FIRE WIRE2001』のステ−ジで!!『J 』がセッションすることとなる大好きな『GUNS N' ROSES』のベ−シスト『DUFF McKagan』と、『SEX PISTOLES』のギタリスト『Steve Jones』の2人がやってたバンド『NEWROTIC OUTSIDERS』のライブやってて、みんなで見に行ったんだ。
ここでも、思ったけど、、、『つながった世界』!!!強く思えば、たいていの願いは叶うもんだなぁ〜なんて。
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で、この夜のライブでも!オレは上機嫌でバ−ボンをガンガン呑んでは、いろんなヤツと知り合った。名刺もらったら、マドンナのレ−ベル「マ−ベリック」の宣伝のヤツらしく、、オレは「東京から遊びに来てるイカス!ベ−シストを紹介してやるからっ!!」って『J 』が居るバ−・カウンタ−まで連れてったんだけど、、、、。「マ−ベリック」の宣伝のヤツったら、オレの「楽屋にオレたち連れてけよぅ!」ってハイ・テンションに参っちゃったみたいで、、、弱っちゃったみたいで、逃げて行っちゃった。(笑)
『J 』は、リペクトしたい男『DJ KRUSH』との対談も、終えてホント短いNEW YORKを終えた。その後、『DJ KRUSH』のリリ−スしたアルバム『MiLightー未来ー』では、なんとも時空を超えたスペ−シ−なアプロ−チだった。そして、ビデオ『 阿 云 』。その映像世界の中にも、永遠とLOOPして、時空を超えた『つながった世界』を感じた。
はるか未来や過去から、オレたち表現者に無限大に発信されてる大切なものを、この身体と、全精神で、、、、冷静に受け止めていかなきゃ!って、、、深く考えてた。未来や過去、、、、時空を超えたスペ−シ−な世界、、、、、、、、、。『つながった世界』。
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