SAKAGUCHI KEN FACTOY,inc. 2-14-10 Misyuku,Setagaya-ku,Tokyo,Japan 154-0005 TEL:03-3424-2304 FAX:03-3424-2341
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010◆ジャンルを超えて、国境超えて、、


  『DJ KRUSH』といえば、今や、世界でもその名は轟く男。ヒップホップを極東から、地球を逆さまに廻したDJ!
ヒップホップの母国-アメリカのAFIMアワードでも2002年・Best Electronica Album部門で最優秀賞を獲得!
アメリカでいうところのエレクトロニカは日本の定義とはずいぶん違い、CHILL OUT系をさす。らしい。
この賞は売上げではなくartistic merit(芸術性)におくられる賞で、アーティストから確実に音が支持されているという証拠とのこと。
ヒップホップの母国-アメリカでも君臨する------ほんと、すばらしい。
  1994年の冬、、、そんな 『DJ KRUSH』と、、会った。
もともと、女優で、プロデユ−サ−でもあり。ラジオのDJも務める『浅野典子』。
彼女との出会いからだった。、、、、新宿にある彼女の事務所で、いろいろ話をしていく中で、もちろんオレの仕事にも興味を示したのだが、、、、、、それより、、、、遥かに素晴らしい、、、さまざまな人々の話。
プロデユ−サ−たる彼女がインフォメ−ションする、ア−ティスト、写真家、映像作家、音楽家、ファッションデザイナ−、クラブACT、小説家、役者、女優、、んッ−まさに、底知らず。
  もう、『浅野典子』の頭ん中って、、、、、どんな広さの宇宙が、、、、どこまで広がってんのかぁ!!って悩んじゃうくらい、、とてつもない、マザ−を感じたのだった。
  おまけに、オレなんかのアニキ分『アナーキー』のメンバ−をはじめ、あの新宿LOFTで、ガンガンやってた『ARB』や『THE ROOSTERS』や『PANTA』、、、あ−また、またあげていくとキリがない、、、
さまざまなロックア−ティストとも、、深い交流があるってんだ。
  で、彼女はオレに、こう斬りだした。「ケンちゃんは、、ストリ−トから生まれたヒップホップって興味ないのぅー」
その当時と、いえばアメリカのヤンチャなガキ[BEASTIE BOYS]のアルバム[LICENSED TO KILL]や[CHECK YOUR HEAD]くらいが、、カッチョイイってくらいで。日本では、、、(今と変わんねぇーけど、、)カラオケ歌ってワ−イってくらいの、カルイ感じの仲良しラップって認識しかない。、、、、、オレって、もう、ほとんどヒップホップのこと知らねーし、、。
  でも、、本来は、、、不良の音楽ってイメ−ジあるから、興味ある!ある!ある!って。
怒りを感じるシンプルな叫び!と!奥深くどっしりしたブレイク・ビ−ツ!!だぁ−って。
  そして『浅野典子』の事務所で、『DJ KRUSH』本人とはじめて会った、、、
彼は背中丸め、暗いスタジオでタ−ンテ−ブルと戦ってる最中だった。なんか、、包丁を研ぐ、一瞬のスキもない職人のイメ−ジだぁ!大変だぁー!!!
言葉、少なめに挨拶をして、、、あとは、、、その緊張感だらけの『タ−ンテ−ブル』対『DJ KRUSH』を、ただただ、、圧倒されながら、、、眺めてた。
  1994年1月。1st.ALBUM『KRUSH』のジャケットデザイン!もちろん、アナログ盤も!
カセットテ−プで『KRUSH』のデモトラックを聞いた。それも、、また、、驚かされる。、、、、アメリカのヤンチャなガキ!じゃない。
アメリカのガキ・Bボ−イにゃ。ついて来れない、、、なんか、、この極東に産み落とされるべくして、産み落とされた極東の『DJ KRUSH』が産んだ『KRUSH』って音だった。
  で、オレはヨ−ロッパにル−ツのある男で、今は東京に滞在中のカメラマン『BRUNO DYAN』(BUCK-TICKの『悪の華』やLUNA SEAでよくセッションしたカメラマン)と東京駅の周辺でロケ−ションをすることにした。それも、夜中から次の太陽を迎える時間まで、、、。
ヨ−ロッパにル−ツのある男『BRUNO DYAN』からしても、この『KRUSH』って音は、、大発見!!だった。
  「ケン。コレ、イイヨ。イイヨ。イイッ!!」ずっとカセットテ−プ聞きっぱなしだった。
ヒップホップのことってあんま、知らねーオレらも『KRUSH』って音は、、大発見!!
  その年、U.K.の--MO'WAXレ−ベルから『DJ KRUSH』は12インチをリリ−スし、、なおかつ、NMEチャ−トに名前を列ねる!快挙でもあるし、、、まさに、U.K.の人々にとっても、、、、、、、、、この『KRUSH』って音は、、大発見!!だった。
  新しい音との出会いは、なによりも嬉しいし、、その誕生にかかわれたってことを誇りに思った。オレの1994年は海外でのレコ−ディングやら、それに伴った撮影やロケ、同行が多かった。
  『THE MAD CAPSULE MARKET'S』はアルバム『MIX-ISM』のレコ−ディングでLONDONへ。
このアルバムのART WORKのアイデアは、メンバ−がスタジオで、なにげに見てた写真週刊誌の1ペ−ジからだった。
そのキリヌキは、デモ行進をする人々が、その手に掲げるプラカ−ドでいっぱいの写真だった。
  LONDONのスタジオに着いたらすぐに、スタジオのロ−ディをつかまえて、、、、
東京から持っていった習字の筆ぇい!!と墨汁ゥウ!!!をわたして。ダビング作業のないギタ−の『ISHIGAKI』と一緒に、書家をやっていただくロ−ディにああでもない、こうでもない、、、って言いながら、『MIX-ISM』のプラカ−ドを作った。スタジオの入り口は『THE MAD CAPSULE MARKET'S』のプラカ−ドだらけ!
  で、日本で言うところの『狂薬売店』って、なんともふざけた謎!のプラカ−ドを抱えて、LONDONの街をカメラマンのM.HASUIと2人で歩くことにした。「ドラッグって売ってくれるのっ?ほんと?」って。ラリッた、ジャンキ−のおバカさんから喋りかけられたり、、、子供たちや女学生に指さされて、笑われたり、、、(ほんとっ、狂薬売店って何ぃ?)KILBURNから地下鉄に乗り込み、満員電車のなかでジロジロ見られようが、ヤジられようが、知っちゃこっちゃ、ない。ぜったい!!ART WORKのアイデアをカタチにする!
  「日本から来た。ジャパニ−ズ・ロックバンドのジャケット撮影してるから、このプラカ−ド持ってください。
おもしろいよー。お願いしますう。」ほとんどTVのバラエティ番組で、よくあるお笑いの罰ゲ−ムじゃないかって、、、。思えるくらいの。そんな、ロケ!イン!ロンドン!
  最終的に使用したカットの人は、アイルランドなまりの、、、たぶん、、、ゴッキゲンな酔っぱらい。
昼間っから、パブでビ−ルをグビグビやっちゃってる、、、、、ゴッキゲンな酔っぱらい!!!
(どっかのフットボ−ル・クラブのフ−リガンかも?知れない)、、、、、、まぁ、それでも、、、、
オレがちょっと二日酔いだったせいもあって。ゴッキゲンな酔っぱらいとは、グッド・コミュニケ−ションがはかれた(らしい)。
  メンバ−との撮影はレコ−ディングのタイミングもあって翌日の1日のみ。オレは小道具のプラカ−ド持って地下鉄に乗り込み、みんなで、、、レコ−ディング・オフも兼ねた、、自由な雰囲気の撮影をした。、、、、、夜まで。
スナップによる『THE MAD CAPSULE MARKET'S』初の海外レコ−ディング・アルバムのフォト・セッションは、、、
無事終えた!!!かって、、、時。ちょっとした珍!事件がぁ、、、。
  まさか、では、、あるが、、当時のマネ−ジャ−(男性)がLONDONの街で『迷子』!!になってしまった。
!!!!!!ッッッって子供じゃないんだけど、、、、みんなで探したけど、、、、いないっ!
マネ−ジャ−が迷子って!どうしよう。「外人にさらわれて、、身ぐるみ、、、剥がされちゃってたら、、、どうしょう、、、!」みんな、心配するも、冷静に、冷静に、冷静に。
  メンバ−も含め全員でフラットに戻って、マネ−ジャ−の連絡を待とうって事になったが、、、一向に電話がかかってくる様子もない
。 みんな腹ペコだしぃー。「今夜はみんなでMARQEE CLUBへLIVE!でも行こうって言ってたから、、深夜のMARQEE CLUBには来るんじゃねーの」ってことで、、、また、夜の街に向かって行く事にした。
  みんなでメシ喰ってMARQEEいったら、、、、、ア−ッア−良かっった!、、やっぱ、、会えた、、、!
身ぐるみも、、、剥がされてなかったが、、海外で『迷子』!!を見かけたのははじめて!(みんなで大爆笑!) 良かった!良かったッ!
  結局、撮影帰りに、みんなで焼肉ッ!!だあって決めてただけに、、ちょっくら、、、寂しかったが、、まあ、マネ−ジャ−が無事で、、もう!なにより!!!
  東京戻ってから。また、、ひょんなことから知人(元イベンタ−でプロダクションの代表)の結婚式に出席した。『ARB』のRYOさん。KEITHさん。『THE STREET BEATS』のメンバ−くらいっきゃ、知り合いがいなかったんだけど、、、あの、『横浜銀蠅』のJOHNNYさんを紹介された。JOHNNYさんっていえば、オレが高校生の頃、、、TBS「ザ・ベストテン」でも常連で。ソロシングル「ジェ−ムス・ディ−ンのように」は友達のバンドでカヴァ−してたくらい超有名ア−ティストであるが、、、、いつもサングラスかけてたから、、、紹介されて会ったけど、全然イメ−ジとは違う人物だった。不良ってイメ−ジはカケラもなく、いいアニキで、、大人で。当たり前だけどシャ−ンとしてて。で、現在は、レコ−ド会社のディレクタ−をやってる、ってことだった。
  その後、オレの事務所にJOHNNYさんが作品を観に来てくれた。そこで、、仕事やってくれって依頼されたア−ティストは、これまた意外や意外、、あのトップアイドルの『中山美穂』!、、、、、へぇ〜。、、、てか、ビックリ!である。ジャンル違い過ぎませんかって思ったけど、、JOHNNYさんとの意外な出会い方、とか面白過ぎたので、、エ〜イ!ジャンルも超えちゃえイって、、、それで、『中山美穂』シングル『Sea Paradise』とアルバム『Pure White』ジャケットデザインをやった。カメラマンも、これまたオレが18歳くらいの頃、大阪PARCOでロンドンでの写真で展覧会をやってて、当時、かなり自分を触発されちゃった男!『ハ−ビ−山口!さん』。ハ−ビ−さんも、、これまた、、意外や意外!相当イメ−ジしてた人物像とは、かけ離れてて、ホント、丸く大きく包んでくれる、あったかくて、やさしいカタマリ!だった。
  1991年のイベント「dead start」とは、また違って。ラクゥ〜な気分で、楽しいイベントになった。
  『中山美穂』は怒濤のレコ−ディングで、唄入れの最中の、、レコ−ディングスタジオで会った。これも、オレはア−ティストのパブリックに見えている部分と、ウラで必死こいてガムシャラに頑張ってる部分。そのイメ−ジ・ギャップには、もう、当たり前に慣れちゃってたから、「あのトップアイドルの『中山美穂』!」って出会い方ってより、、随分ガッツ入れてボ−カル入れをやる子だなぁーって。で、そのレコ−ディングの風景を観ているうちに、、それまでの彼女にはないジャケットのアプロ−チって何かなぁー?!っっッッ!そーだ。レコ−ディング真っ最中!の『中山美穂』も美しいんだし、そのひた向きさ加減も可愛いんだし、、、。「ハ−ビ−山口!さん。このスタジオ通ってドキュメントで!ジャケットも撮影しませんか?」って方向になった。もちろんヘアメイクもスタイリストも彼女自身です。よくあるアイドルのニコパチ・グラビア写真なんて、、オレやり方、分かんね−し。ア−ティスト『中山美穂』その人間的な表情を、まず、ジャケットで表現すべきだと感じたんだわ、多分。
  で、夜の六本木。彼女もよく行く居酒屋の前での撮影カットがアルバム『Pure White』のカヴァ−になった。JOHNNYさんも喜んでくれたし。ここでのスタッフの方々とも、ゆっくりではあるが、コミュニケ−ションがとれるようになった。表現方法はともかく、自分自身でジャンルを狭くしないで、、、そう、ジャンルを超えて輝ける仕事をしようって、思えた。
  その後、カレンダ-のアートディレクションで、またハ−ビ−さんとロケ地、香港に出向いた。ひさびさの香港!であるが、なんとなくイメ−ジは覚えてたから、現地コ−ディネ−タ−にリクエストを出した。で、ロケハン。その翌日、彼女とヘアメイクもスタイリストの女性チ−ムも合流してきた。驚いた!『中山美穂』は、それまでのトレ−ドマ−クの、長い髪をバッサリ切って、あらわれた。
  ともかく、レコ−ディングの緊張感からの解放かっ!ってくらい思いきったイメチェンである。で、香港ではほんと少女のようにはしゃいでた。なかなかのグルメでもあり、、いろいろなお店を案内してくれた。はじめて食べるようなメニュ−も教えてくれた。遊園地では、イルカショ−を観たり、いろんな乗り物でオオハシャギ!別荘地では、香港の大金持ちの暮らしっぷりも観察できた。ほんと、タメになる。
  撮影の合間に、美穂ちゃんからは、次のTOURのロゴやTシャツのアイデアも出てきた。Tour1994『Pure White』におけるアートディレクションも依頼されちゃった。美穂ちゃんからのアイデアも、これまでのア−ティスト達とは、まったく(当たり前だけど)異なってて、また、やる気がメラメラ燃えてきたぁ!!東京戻ったら、すぐ、パンフレットの撮影とTOUR GOODSの制作に取りかかった。すべて、彼女にとっても新鮮なものになったと思う。
当時、オレは一連の仕事を通じて、そこにアイドル『中山美穂』というより、歌手『中山美穂』というより、もっと強烈に『女優・中山美穂』を発想してた。  
    『BUCK-TICK』は英独・ニューテクノの先鋭リミキサーによる(Aphex Twin, Hard floor etc.)初めてのリミックスアルバム『シェイプレス』をリリ−スすることになった。アンビエント・ミュージックのためのスペシャル・パッケージは、豪華写真集を付けようってことになった。で、メンバ−もレコ−ディング作業ないワケだし、、、、、そうっかー。全員で海外ロケしようってことになった。パッケージもふつうのサイズじゃいやだから、、って。写真集の中にCDが付いてるイメ−ジで提案した。頭の中には、最初からミックスアルバムだし、、
『BUCK-TICK』のメンバ−の写真だらけじゃ、なくて、、コラ−ジュっぽい世界観があったから、、オ−ルクル−の手にもカメラを持たせて、、、とにかく、できる限りのカット数(と、言うか、視線の多さ!)を狙おうって考えた。ありったけの視線で、さまざまなものを押さえて。オレは、ガラクタとか、ゴミみたいなものから、華などの植物までコラ−ジュに必要なモノをできる限り探そうって考えた。
  ロケ地も、トルコ!イ−スタンブ−ル!地中海に決まった。
  トルコ!は、『THE ROOSTERZ』のラスト・アルバムで、そのジャケット・ワ−クで目にした時、気になってたロケ場所だった。以前『THE ROOSTERZ』のギタリスト下山淳さんに「トルコ!ってどんな国ですかぁ」って聞いてたときがあった。そこには、、不可思議な遺跡が、もちろんあるし、、、地下都市=アンダ−グランドが現存するんだ、、、なんて、、、色々、興味そそられてたから、、多分。『BUCK-TICK』の5人には、ぜってぇーお似合いダッ!って感じた。   当時、『5分後の世界』っていう村上龍の小説が、オレたちの間でも流行ってて、実はまだ、日本は戦争中で、アンダ−グランド兵士が現存してるぅ〜なんて、、、ワクワクしてたから。
  地下都市=アンダ−グランド=BUCK-TICKこれ決まりッ!じゃん!って思った。前年リリ−スの『darker than darkness -style93-』における世界観!ってヤツも、、なんとも、、、トルコ!って国に行きたがってるし、、 カミカゼくんが、、世界中のアンティ−ク・ショップで、アレ!を買いあさりたーいって!センスが狂って、センスが、グルグル廻って、、国境超えて、、グルグル廻す時代だぁ!なんて。
  随分、、もう成田付く前の日から、、、アルコ−ルの海でバシャバシャ!水遊びをしてたオレ達は、幻のように、まばたきしてる間にトルコ!って国に移動してた。極東から、一瞬でワ−プしちゃった。ホテルに着いたら、まだ、まだ夜は続いていて、、メシ喰って、今度はカジノ行こうって。「K?ZINO」って看板を見つけて、そこを目指した、、、、、が。なんか、その店の雰囲気が、まったく、オレたちが想像するカジノじゃ、、けっして、ない。妖艶!淫乱!ピンク!な雰囲気でいっぱい!なんだワ−、、、コレがっ!
  お姉ちゃんが、オレたちの席に向かってやって来る。ステ−ジでは、ヌ−ドダンサ−が妖艶にカラダをくねらせている。、、、、ここ、、、ほんとカジノ!なのか!、、、いやッ!違う「K?ZINO」って名前のヌ−ド&売春クラブじゃねーのかっ!ってこと。
  そのクラブでは、おまけに、その夜。警察の密入国者の強制捜査もあり、、オレたちは、そんなモノ珍しい場面にも偶然、遭遇しちゃった。客電もつけられて、ヌ−ドダンサ−も定員も入り口付近のフロアに集められてる。、、、、あーなんて、面白いんだぁ!騒然となっちゃった店の、客席を盛り上げようと、、、(正気じゃ、できないが、、)イイ感じでハイになったオレは、ステ−ジに上り、、客に向かって「一発ギャグfromトウキョウ」を、ヌ−ドダンサ−の幕間ギャグとして、、、やってしまった。すぐに捜査官が、オレ達のテ−ブルに「何やってんだぁ!」って、やってきた。「ウソッ!ウソだろーっ!」って。捜査官がなんか、しゃべってる。「Å〆♂♀‡!Å〆♂♀‡!.....!!Å〆♂♀‡!Å〆♂♀‡!Å〆♂♀‡!Å〆♂♀‡!Å〆♂♀‡!Å〆♂♀‡!Å〆♂♀‡!Å〆♂♀‡!Å〆♂♀‡!Å〆♂♀‡!Å〆♂♀‡!Å〆♂♀‡!Å〆♂♀‡!」   オレすぐに、現地ガイドに教えてもらったアノ言葉!思い出した!『バ−バ』って、レコ−ド会社のボスを指さした、、、。今度、捜査官はレコ−ド会社のボスにむかって何やら、「Å〆♂♀‡!」。
  ボスは、パスポ−トとホテルのキ−を見せて、、、何とか、その場を切り抜けた。.............実は、『バ−バ』=『責任者・偉い人・ボス』って意味。なんでこのトルコ語だけ覚えてたのか、自分でも不明..........
  オレ達がホテルに帰る頃には、泥酔状態のレコ−ド会社の某担当者は、思いっきり日本語で声を荒あげ!「ふざけえんなぁ!!ばっきゃろーッ!!!」って吠え始めた!、、、、で、タクシ−ひらって乗っけたが、「○○まで行けぇ!!ッて!!!」思いっきり日本語で東京の自宅までって、行き先を言い付けてる始末。、、、、、、。
  またけっきょくATSUSHI+IMAI+八木さん+マネ−ジャ−で、、いつものTOURの夜っていうかロケ出発の朝まで、、部屋で、東京でタップリ買い込んできたハ−パ−12年をグビグビとやって、、、トルコ!って国のロケ、第1日目がスタ−トした。大型バスに乗り込み、最初の撮影ポイント、ソルトレイクを目指した。移動中は、ただただ、、ひたすら二日酔いと戯れながら、、、睡眠だ。
  ソルトレイクは延々と真っ白な世界が続く、、岩塩でおおわれた湖である。目が痛い、ほんとに夢に出てきたこともある、あちら側の世界!?なのである。アニイは、唯一持参したVIDEOカメラを、キャッキャはじゃぎながら撮影メイキングを回してる。素晴らしいロケ−ションだ。アノ世界だ。
二日酔い軍団には、もってこいの最初の撮影場所。グッタリしゃがんでる、、その感じだけでオーケイなのだ。die....die....die....die....die....
  そして、また延々と続くまっすぐなハイウエイを次のロケ地を目指してオレたちのバスは、進む。牛や山羊やロバと男の子。華を摘む少女。幸福に包まれた、、楽園のイメ−ジ。
  で、あの不思議な遺跡がある地下都市のあたりに。撮影中、なにやらATSUSHIが地元の男と喋ってる。、、、、ちょっとした休憩中に、お土産屋に招待されてたのかなぁーって。みんな思ってたら、、、ナント、なんと、何ぃイイ!!! あの地元の男は自宅にATSUSHIを招待してお茶を出したら、「ゆっくり過ごしてください」って。なんと、何ぃイイ!!スリよってきたって!!!!
  トルコ!って国ホモ男!の登場!!
って。ギャグじゃ、ないんだから!!!!!!ATSUSHI。レイによってブチキレながら、バスに戻ってきた。あ−ホント。モテル男は!つらい!厳しい!おっかないって!
  で、今度は男性のシンボルを連想させる地層が、聳え立つ地方にも向かった。ここでは、人形のアタマみたいなものをサッカ−ボ−ルに見立てて、その人形のアタマを蹴って遊んでいる親子と会った。少年とU-TAとオレATSUSHIで、サッカ−遊びをやった。キラキラ喜んではしゃぐ少年の表情は最高!だった。
  撮影中は少年とオヤジが、2人でサッカ−遊びやってたのだが、、、、ボ−ルがタニ底に転がっていってしまった、、、今にも泣き出しそうな少年。そこで撮影を終えたATSUSHIは、そのタニ底のボ−ルを追いかけ駆け降りてった。みんな、心配したが、ニッコリ笑いながら、ボ−ルを持って帰って来る。、、、、、少年の表情は、もうギラギラに輝いてた!鼻水が乾くほどガビガビで頭をツルツルにしたヤンチャな少年。あまりにも印象的な光景だったので、『シェイプレス』の中に登場してもらった。まさか、、、その後2002年に、その国トルコにワ−ルドカップで日本代表が破れるなんて、、、は!、、、想像もしてなかったが。  
  ジャケットになった写真。実はもう何年もお客さんが来てないような、、、古ぼけたお土産屋の店頭にあった、直射日光にさらされ色褪せてガビガビになっちゃったポジを買って、、、なんかっ、、この空気感って、、すげぇーゾ−!って思って、それと現代の東京のタイポグラフィをミックスしちゃえば、、!なぁ!カッコ良過ぎ!だって、ってニヤリとした。なんか古代のコロシアム遺跡の、、乾いた感じ、、、。これってオレのガラクタとか、ゴミみたいなものをロケや旅先でもらってくる癖からの、、、グラフィック表現のひとつ、だ。
  2日目の夜からは、、もう、ぜっーったい!絶対!だ!って宿泊ホテルのカジノに全員で、入っては閉店まで、粘って呑んで、、、特にIMAIは勝つまでカ−ド離さないで!勝負して!勝負して!勝負して!勝つまでカジノに居た。
  オレとHIDEHIKOとヘアメイクの谷やん!(現ファッッツ・ベリ−の谷崎さん、ね)が先発組で、割と軽装(短パンとか、、、)で入店してたら、、後から来たみんなは運悪く、違う偉いホテルマンに「カジノは正装でしか入店できませんっ!」って追い返されちゃった時があって、、みんなアタマに????つけながら、「ケンって短パンとかサッカ−シャツってくらいの、超!軽装じゃねーの 」なんてブツブツ言いながら着替えに部屋戻ってから、、ふたたびカジノに戻ってきた、、、。
  そこで、笑ったのは、通訳&ツア−コ−ディネ−タ−の会社員。なんと、オヤジ・ジャ−ジに!ビジネスマンの革靴!なのだぁ!お笑い番組のキャラのようなビジネスマンの入場には、メンバ−全員で腹かかえて大爆笑!した。「この偉大なトルコ!って国の正装!って。正装!の基準って何なのだぁ!
  何はともあれ、、『BUCK-TICK』のメンバ−全員で行く旅の、珍道中は、終了する。.........トルコから帰ってすぐIMAIはひとり、LONDONへ別のユニット『SCHAFT』のレコ−ディング+PV撮影に、またもやLONDONへと旅立っていった。アニイの買ったシンバルはともかく、、トルコでIMAIとHIDEHIKOが買った!謎!の弦楽器が、、その後、使用されたか!に、ついては、、、!謎!のままだ。(笑)
  まあ、、いろいろと、、あったが、、。1994年に、確実に!廻る!廻る!世界が廻る!で、、、覚醒した別のレヴェルの超生物が、、動きはじめてしまった。