SAKAGUCHI KEN FACTOY,inc. 2-14-10 Misyuku,Setagaya-ku,Tokyo,Japan 154-0005 TEL:03-3424-2304 FAX:03-3424-2341
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017◆生きる以外、方法はない。
    その先に肉体的『死』が、あるが、、



  1996年の11月21日。午前4:00。降りしきる雨の西麻布で、、、、 交通事故に遭う!集中治療室に救急車で運ばれた(らしい)。 まったく何ひとつ覚えちゃいない、、、
  ただ、、ただ、、、、長く続いてる地下の通路、、、、延々と続いてる蛍光灯の下を、、、ハデな迷彩服を着て、、、担架に乗っけられて、、、何処かに運ばれていく、、イメ−ジ。、、、オレは覗き込んでる白いロボットたちに向かってピ−ス・マ−クを送った、、、、ただ、、ただ、、、、長く続いてる地下の通路、、、、延々と続いてる蛍光灯の光り、、、無数の数字が、、、暴れてた。〜14+3745+8=3745+3745X3745+888+888+14+14+3745+8〜無数の数字たちと、戦った!(LOOPっていう答を出すと勝てるらしい)

  どのくらい経ったのか、、なんか、、、呑み過ぎて、、、また、誰かの家かぁ?、、、ただただ、全身で感じる、その"感触"の違い!ってヤツに、、、瞳を開けることが、、、これほど、恐怖だったことは、なんとも、始めてだった。
  真夜中だったか、、テクノサウンドが、、、ピッ!ピッ!ピッ!ピッ!ピッ!ピッ!流れてる、、、それにしても、、、単純なウチコミじゃないか!〜14+3745+8=3745+3745X3745+888+888+14+14+3745+8〜
また無数の数字が、、、暴れ出した。ここは何処なんだろう、、、夢かも、、、また、、、寝ちゃおう、、、まだ、、、いつもの二日酔いのはず!だ。その、はずだ!頭痛いし、、、
  11月24日、、、丸二日間以上、眠ってたらしいが、、、眼が覚めた。、、、が、、、ここは何処でもない、、、真っ白いカ−テンの中だった、、、で、、、起き上がろうとしたが、、、、ダメだった、、、頭が重い、、、なんか、、固定されてるみたいだ。、、、左手には管みたいなモノが突き刺さっているし、、、ピッ!ピッ!ピッ!ピッ!ピッ!ピッ!流れてんのは、、、心電図だか、なんだか、、、。
  「ふぅ〜」人間やめますか!じゃ、ねえ!
  あ〜!ここは!集中治療室なんだぁ!夢かも、、、また、、、寝ちゃおう、、、まだ、、、二日酔いで頭痛いし、、、なんて、、、あぁ〜死んじゃうのか、、、このまま、、、寝たきりなのか、、、身体は、、、もう、、立てないのか!、、、、、、「死」の恐怖に、、始めて直面した。
  夢だよね、、、また、、、寝ちゃおう、、、また、、、でも、今度は眠れない。脳の中のBLOODを止めるDIVE-BOMBERが、オレの血流に出ると、全細胞が死にそうになる、、、両目は狂人のようになって、、、まるで、シャブ中毒患者みたいだ。「オレもう、終わっちゃうのかなぁ〜。たいしたモノも残さないで、、、ハイ薄っぺらい人生でした。ってか。」
  看護婦さんが、やって来た「大丈夫ですよ。」って、言われても、起きあがれないんじゃ、、、笑いも出ない、、、目覚めてから、最初の朝を迎える時間の長さったら、、、もう、、想像したくないくらい長かった。ただ、1枚の真っ白いカ−テンで仕切られたベットの上の天井を、見つめてた。
  音楽とコラボレ−トするア−トワ−クの仕事に就いて、まだ、たったの10年か。、、、、で、、引退。不安でいっぱいだし、、、自分自身に情けない、、、何も、まだやってない!!、、、おまえなんか、どうせ独りぼっち!!、、、、ちっぽけ!カス!アホ!じゃ、早く死んじゃえよ!存在価値ゼロ!!!なんて、、もうひとりのオレが「死」を勧めにやって来る。どうせ、寝たっきりで、なにが、できるんだい?死んじゃえ!死んじゃえ!死んじゃえ!死んじゃえ!死んじゃえ!どうせ独りぼっち!それで、みんな喜ぶぜっ!、、、、って。
  今度は、もうひとりのオレとの戦いだ!辛抱するんだ!脳みそなんとかするんだ!弱気なオレ自身との戦争!なのだから!KEN!頑張れぇ!「たかだか、頭蓋骨カチ割っただけ!」だから、素直に現実の肉体と向かいあって、復活のために、、戦え!KEN!頑張れぇ!って言い聞かせて!!絶対!カンバック!、、、、、長い長い、自分自身の精神世界の、まさに戦争だった。
  11月25日の朝を迎えた、その日。弟マサ夫婦や、事務所のスタッフ、DJ KRUSHの事務所スタッフが面会に来てくれた。その時の「大丈夫KEN!頑張れぇ!」って、なんとも、その天国にいる人々の空気と笑顔に、、なんとも、、言えない「本気の勇気」をもらった。この時、ベットに縛られた自分が、どんな顔で、何を喋ってたか、、やはり覚えてないのだが、、、。その日、初めて起き上がってみようって、決心した。看護婦さんが溲瓶を出したから、、ますます、、起き上がらなきゃ!って思った。頭が重たいだけで、、、身体は大丈夫なはず。あちこち、痛いが、、、足も手もあるんだし、、、手すりをつたい、看護婦さんに補助してもらいながら、、トイレまで、、、歩いた。随分と時間をかけてしまったが、、、最初のトライは、、、まるで、ヨチヨチ歩きの子供か、老人のようだった。車椅子も用意されたけど、、、なんとしても、自分の足で歩きたかった。
  「オレ終わっちゃうのかなぁ〜。KENバカヤロウ!まだ!始まっちゃいねぇーよ!」生きる以外、方法はない。戻っては、生きる。生き続ける。戻っては、生きる。ボロ人形のようになっても、生き続ける。その先には確実に肉体的「死」があるが、再生ってのもある。そして、また、生きる。生き続ける。戻っては、生きる。終わりなど、ない。今も、ない。ただただ続く。それが、オレ自身で出した答なんだから、、、、。
     絶対!カンバック!そう決めた!と、なると、同部屋の人々の苦しみを、、たまらなく、、遮断シャットアウトしたかった。首のまんなかに管を突っ込まれたり、、、夜中に呻き声と、、、、看護婦さんが、夜昼かまわずに走り廻る、その病室から、、早く脱出したかったのだ。で、ワガママを言って(ほんとはその後の経過が良くて?)、個室に移動した。で、お見舞いで、もらったノ−トと鉛筆が、オレに勇気をくれた。
  、、、、まずは、記憶の底力を試した。オレの頭の隅々を、ひっぱり出して、、、どうして、、、生まれて、育って、人と出会って、別れて、、、心動かされ、落ち込み、、死んで、生きたか、、、で、、まだ、なんで、オレなんかカスの、人生を繋いでくれてるのか、を、、、寝たきりのベットの中で書き殴った。悔しくて、しかたのない、、情けない自分自身を、恨みながら、、、、。
  妙だが、頭痛くって、メシもいらなきゃ、トイレもできない、、半分、植物なんだが、、脳みそは戦った。

  『dead start』-----死んで始まる。1991年に開催した音楽とア−トをミックスさせたイベントの時の、言葉を励みにした。たとえ、肉体的な「死」が来ても、精神はそこからスタ−トするんだからって。

  個室になって15日くらいたってからは、、起きあがれるようになった。忙しい中訪れてくれるお見舞いのア−ティストのみんなや、知人には、ほんとうに感謝したい、、、、、でも、、そこで、、、「ワケの分からない話をするヤツ」になってたらしい。自分じゃ、普通だったと、思ってたけど、、。
19.DEC.1996
記憶を、なんとかして、飛行機のように、、、自分の中に戻してこなけりゃ、、ならない。
そして、一緒に動いて、感じて、注意しなければならないのだ。
「お前!」とか「オイ!」とか「君!」とか「あなた!」とか、言いたくない。
TVの画面は眺めてても、音が、頭に痛い!
映像とは、GOサインだけしたら、、、時間経過に対して、、、「ありがとう」とメッセ−ジを送ろう。
イメ−ジと、音楽の持つメッセ−ジ、は、、、オレの脳の中に、、まだ、、、
飛行機のように、ある。ジェットだ。
AM2:00。頭痛くって、、、また、、薬を飲ましてもらう。痛い。
AM5:57。11℃---4℃--どんどん、下がる、、、下がる。北風が激しい。今日も窓の外は寒そうだ。
乾いた、きれいな、冬の美しい空に包まれそうだ、、、が、、頭に痛い!
自由。突風で、、、作業小屋が潰されるのも、、幼い兄弟2人が死亡するのも、、、ヤダ!
頭の痛い夢は困る、、、、ハレンチな教師は無視だ!サイレンの音も、パトカ−の音も、、、うるさい。
バカから頭さげられてる、、、頭に痛い!
AM6:23。東京タワ−からはるばる広尾5丁目アパ−トに向かって、鳥の群れが飛んで来た、、、
「前へ!跳べ!」TVでは真っ赤なポインセチアで、、、いっぱいだ。、、、ポインセチアは、、、
水をいっぱいあげ過ぎると、、、、死んじゃうんだろうか、、、
AM7:23。青空で雲がひとつも見えない、、、他県から遊びにこないかなぁ、、、広尾病院まで、、。
公園とか散歩、、いきたいなぁ、、、梅の花とか見てみたいし、ピンクの、、
寿司やとか、蕎麦やとか、、、あぁ、、、メシも食いたい、、、、
ヘリコプタ−は、、うるさい東京、、、カラスが2羽、、、また飛んで逃げてくよ、、、
「絶対に、、、決して、、消えない光が、、、目の前、、背の後、、、に、、あるのか、、、」
また、、薬を飲ましてもらう。痛い。
23.DEC.1996
黙ってもくもくと働く美学を、、両親には見せられたような気がする。
いつも働く姿と、、ニオイ、ツキアイ、旅、酒、、、
オレは悪さをしでかしては、、
遠洋漁業であんま家に居ないオヤジには黙って殴られた、、、、か、、
働きずめのオフクロには些細なところまで突っ込まれた、、、か、、、
小学校の修学旅行。帰りのバスから降りて、、
みんなとバイバイする時、、、凄い寂しさがあった、、オレ、、
涙がこぼれそうだった、、、
小学校の頃っていえば、、ム−ドメ−カ−だったし、、
変わったことして、、笑わせちゃうヤツだったし、、、
スポ−ツの代表選手だったから、チビだったけど、、、目立ってたし、、、
今でも思い出に残ってるギャグ!
いっぱいやったからなぁ、、、、、、でも、、、その時だけは、、
暗くなった、、、、
みんな両親とか、、普通に母親とか迎え来てんのに、、、
オレん家なんか、、、仕事のカッコで、、、
すごい、、きったねーのよ、、、魚臭くって、、、他の父兄からは、、離れて立ってるし、、、
オレ、、、なんか、、、くやしくって、、、無視しちゃって、、、家までダッシュして、、、 独りで帰っちゃったなぁ、、、、首から家のカギ!ぶら下げてるから、、、、
家帰ったら、、、涙ボロボロ出ちゃって、、、ぐしゃぐしゃ、、、、じゃない、、、、ぐしゃぐしゃ。
おみやげとかも、、素直にハイッて、、、渡しゃいいのに、、、、なんか、、素直になれない、、、、、
首からカギ!ぶら下げて、、暗くなっても、、、窓の外眺めて過ごした、
独りの時間、、、、長い長い、、、
独りきりの、、、、自分自身の、、、脳みそとの、、、戦いだ、、、、、、
  なんて、なんだか当時の日記は、もうワケ分かんない、、、
ただ、、、時がすべてを「復帰」の方向に導いてくれた。もう一度カンバックするために、退院してからも自宅にてリハビリに努めた。
  体重も10Kgも落ちちゃって、、、筋肉もすっかり落ちちゃってた、、、情けない。立てるものの、、フラフラしちゃう、、、いつも頭がPAN!!って弾けそうだから、恐い。こんなに、、外で他人とすれ違うだけが、、、こんなにも、、、恐怖だとは、、、。住み慣れてた街や部屋が、まったく別のイメ−ジに見えてくる、、、、うるさい音楽が、、、まだ、、頭には痛かった、、、情けない。
  ただ、この年の年末に、勇気を出して、、、、初めての外出をすることにした。弟マサが撮影に向かう、、、忘れもしない1996年12月23日。オレは、よりによって初めての外出がライブになった。『LUNA SEA』< UNENDING STYLE TOUR FINAL Christmas STADIUM〜真冬の野外〜 in 横浜スタジアム >だった。ほんとうに久々に外に出たら、、、あったかいのかと思ってなぜだか、、、オレは短パンで出かけてった、、、。(バカ!頭蓋骨骨折野郎である。真冬の野外なのに、、、)
  1991年に日本青年館 初のホールワンマンで初めてライブを見てから、もう5年かぁ、、、なんて、いろんな思いがタイム・マシ−ンで高速でリワインドしてくイメ−ジだった。脳みその中が、、、逆回転はじめた。グルグルと、まるでアナログ・カセットのようだった。記憶がバックしてる、、、、横浜スタジアムに着いて、まず驚かされたことは、、、彼ら『LUNA SEA』は今日から1年間、そのバンドとしての活動を休止するってこと、、、だった。びっくりした。ただ、彼らは、彼ら自身が、もっと大きくなるために1年間それぞれが自由に飛んでみる予定だという。、、、、、オレも、きっちりと飛び立とう!もっと軌道のはっきりとしたイメ−ジで!
  オレはそれに合わせるかのタイミングで脳みそにダメ−ジ受けて、、、新しいサカグチケンに生まれかわり、また人生のなかでも成長する最大のチャンスじゃないかと。とにかく、勇気を貰って、、、熱い鼓動の高鳴りをヒシヒシと感じた。
  バックステ−ジにあるゲスト部屋に案内されると、、1人だけ居た。、、また、また、びっくりである。見慣れた顔が微笑んでいる。『hide』じゃないの!!、、、、開口一番「ホント、、ケンなの、、、ウソッ!ナニ!」あまりのオレの変わりっぷりに、ただただ驚いてた。「頭、なに着けてんのよ−。イカスじゃん!それに、、、真冬の野外でも半パンだしぃ、、、、」
  頭蓋骨骨折したって言ったら「キャハハ!ヤルじゃん!まったぁ〜酒のサカグチケンらしいねぁ〜」なんて、飛び切りの笑顔とエネルギ−に、、、ただただ感謝した。「今度また、、、ぜったいセッション!!!しようゼェ!!絶対!!」「カンバックしたんだから!カンバック!カンバック!カンバック!カンバック!」「hide、、、頭蓋骨骨折って、、、不思議だぜぇ、、、痛くなかったんだから、、、事故った瞬間って、、、、」なんて、冗談もまじえながら、、、、長く、熱く久しぶりの、、、酒の席じゃないけど毒ある会話を2人で楽しんだ。「マッドの新曲、、、カッコイイなぁ、、、。ケンがやったんでしょ、、、PVの監督も!ヤツラの『神歌』のすべてに心を動かされたよ。」なんて、、、、すっげ−うれしいことも言われて、心に残ったし、、、、。
  ホント『hide』って、どんなときも熱く2人で喋れるなぁ、、、、って思った。
  もうひとつ、びっくりしたのは、、『LUNA SEA』の楽屋には車椅子があった。なんと、、『J』が足をツア−中に骨折してる、、、、あぁあぁぁああああ、、、、、「さすが、J! まさかここに!!!骨折ブラザ−がいた!しっかし、、なんていうタイミング!!」なんか、、笑いがこぼれた。
  、、、、『LUNA SEA』の5人は台風だろうが、大雪だろうが、アクシデントのマイナス要因を、、、すべてプラスに変えちゃえる不可思議なパワ−ってヤツ!もってるから、、、そのエネルギ−を信じて、、、、ライブを見守った。オレも、、、久々のライブ!!!まさに戦いだ!!! いつも全力をぶつけてきた『LUNA SEA』の5人この日。横浜スタジアムを、騒然とさせる、、、それまでのすべてを叩きつける勢いのパフォ−マンスを見せてくれた。オレもグルグルと脳みそ回転させて、、、きっちりと飛び立とう!もっと軌道のはっきりとしたイメ−ジで!チカラ強くなれるように、全神経を横浜スタジアムすべてに、あずけてた。

  フラフラになったメンバ−5人にも、、スタッフの皆さんにも、カンバック!の感謝を伝え、、、

  ノ−・ダウンだ!笑って、また、ゆっくり立ち上がった1996年暮れだった。この日の『hide』の言葉は、、、忘れない。

「ケン、、、なんか、、ケンは、ね。一回死んでカンバックしてんの、、ね。、、もしかしたら、、、誰もが見てない、、、平和や、、、未来やらを、、、みんなに伝言しろって、、、返されたんだよ、多分。また、いつか、、、表現に変化でてくるから、、、、いつか、、、光を、、、、輝き、、、平和や、、、未来や、、、平和や、、、未来、、、、、、、、、、、、、」